2017年10月29日日曜日

Irons in the fire 成形前の鋼

新人社員テイラーと話していた時、もっとトレーニングをして欲しいと彼女にせがまれたことがきっかけで、毎週金曜朝8時にPMP試験対策講座を開く企画をチームに提案しました。アンドリューもカンチーも、是非参加させて欲しいと猛烈アピール。金曜定休シフトを敷いていたシャノンまで、

「それなら私も金曜出勤するわ。」

とやる気を見せます。部下たちの熱い思いに感動した私は、よし、君達全員に絶対PMPを取得させるぞ!と高い目標を掲げ、一カ月前から集中講義をスタートしたのでした。

「資格はもちろん大事だけど、この受験対策を通して学んだことがきっと大きな自信に繋がる。いつ何があっても、余裕をもって自分を売り込めるようになって欲しいんだ。」

初回講義の後、そんな話をしたところ、

「どういうことですか?何か大変なことが起きそうなんですか?」

不吉な予言と捉えたのか、ハラハラした目で私を見つめるカンチー。

「いや、ただ単に、一寸先は闇だって言いたかったんだよ。今のところうまく回っているからって油断しちゃいけない。経営陣は容赦ないからね。彼らに慈悲を期待するのは間違ってる。みんなビジネスマンとして日々冷徹に経営判断をしていて、その結果、個々の社員に不都合な決断が下されることだってある。結局のところ、自分を護れるのは自分だけなんだ。あらゆる機会をとらえて学び続けて欲しい。たとえ僕が明日突然クビになったとしても、顔色ひとつ変えず仕事を続けられるくらい強くなって欲しいんだ。」

締め括りのメッセージが冗談なのか本気なのかを測り切れず当惑しつつも、力強く頷く若者たち。ビビらせて面白がっている部分もゼロではないのですが、将来ある彼等にコンサルティング・ファームで働くプロとしての心構えを伝えておきたい、というのが私の真意でした。特に何か差し迫った不安材料があっての発言ではなかったのです、本当に。

明けて先週木曜の朝9時半、携帯がブルブルと震え、見ると元ボスのエドから着信です。彼からこんな風に連絡が来るなんて珍しいな、と機嫌よく電話に出たところ、

「明日の朝、マリアが解雇されることになった。」

と、単刀直入に臨時ニュースを切り出します。あまりの衝撃に、言葉を失う私でした。

「進行中のプロジェクトで求人中のものがないか、至急探してくれないか?手遅れになる前に、彼女の異動先を見つけたいんだ。」

「ちょっと待って下さい。一体なぜ解雇なんですか?」

「我々がオーバーヘッド(間接部門)だからさ。」

利益を生み出すオペレーション部隊を縁の下で支える間接部門は、クライアントからの支払いが得られません。つまり、発生するのはコストのみ。これをカットすれば、少なくとも短期的には収支が良くなる。企業にとっては非常に手っ取り早い「業績改善」の手口なのですね。経営判断と言ってしまえばそれまでなのですが、これがごく親しい人の身に降りかかるとなると、そう冷静でもいられません。しかも、マリアのポジションは13年前まで私が担当していたのです。

「分かりました。いくつか思い当たる大規模プロジェクトがあるので、当たってみます。」

と電話を切り、混乱した頭のまま立ち上がる私。あらためて時計に目をやり、これから24時間以内に何とかしてマリアを救わなければならないぞ、と自分に言い聞かせます。

まず大ボスのテリーの元へ駆けつけて事情を話したところ、うちの部門には受け入れ先が無いとの返事。すぐに別の階へ行き、建築部門のPMブレントをつかまえ、進行中のプロジェクトに空きポストが無いか尋ねます。

「今すぐは無いな。一月末にでっかいのが一件始まる予定なんだけどね。」

「いや、明日の朝までに決めないと駄目なんだ。大事な仲間がひとり、瀬戸際に立たされてるんだよ。」

「よし分かった。あちこち聞いてみる。」

その後複数のPMにメールを送ったのですが、結局誰からも吉報がもたらされぬまま夜を迎えました。そして段々私は、こんな風に考えるようになっていました。

「これは運命だと言えないこともないんじゃないのか?マリアは今の仕事が全然楽しくないって言ってたよな。だったらもうここはすっぱり気持ちを切り替えて、新たな人生を切り拓いた方が彼女のためかもしれない。こっちが勝手に動いて延命策を取ることで、かえって明るい未来の扉を閉ざしてしまうかもしれないじゃないか。あの性格なら、きっと彼女が心から楽しめる仕事が見つかるさ…。いや待てよ、そうは言っても彼女は僕と同い年。転職先が簡単に見つかる年齢でもないか…。」

そんな煩悶の一夜が明け、気が付くとエドから携帯にメールが入っていました。

「一応危機は脱した。とりあえずの落ち着き先は見つかったけど、引き続きポジション探しを続けてくれないか?」

ホッと一息ついた私は、PMP試験対策講座の教鞭を執りにオフィスへ向かったのでした。

今週水曜日の午後、仕事中に当のマリアからテキストが入ります。

「今話せる?」

間もなく現れた彼女と目配せし、小会議室へ向かいます。

「話、聞いてるでしょ。」

二人向き合って腰を下ろした途端、彼女が切り出します。

「うん、詳しい背景は知らないんだけどね。」

「先週後半は、人生で一番忙しい三日間だったわ。」

エドから話を聞いたのが水曜日で、それから金曜の朝まで彼が八方手を尽くし、彼女も駆けずり回った結果、ようやく避難先が見つかったのだと。でもこの先一カ月くらいの間に最終的な異動先をゲットしなきゃいけない…。

「どうして君が標的になったのか、何か心当たりはあるの?」

と思い切って尋ねる私。すると、彼女の顔に小さな驚きの表情が現れます。

「え?知らなかったの?これは私だけの話じゃないのよ。」

次に彼女の口から飛び出たセリフに、顎が外れそうになりました。

“They are dismantling our entire department.”
「うちの部署、丸ごと全部潰されるのよ。」

エドもエリカも、そして彼等全員のボスである東海岸のクリスも、全員解雇宣告を受けたのだというマリア。別の部門の下部組織という形で新部署が作られ、そこに今までの職務を大幅に縮小して移した上で担当者を総とっかえするという話が進んでいる。先週は、解雇リストに載った社員たちが大慌てで社内異動先を探していた。エドもエリカも早々に行き先を確保出来たのに、自分の引き取り手だけが最後まで見つからなかった…。

「なんてこった。これまでやって来た仕事の価値を全否定されるようなもんじゃないか。それで、クリスはどうするの?」

「知らないわ。それが今回、一番腑に落ちないことなのよ。彼、グループ会議も開かないでただ沈黙してるの。」

「ショックから立ち直れないのかもね。」

「それは分かるけど、これまで随分長いこと苦楽を共にして来た仲間じゃない。なんとなくバラバラになって終わりなんて嫌でしょ。きちんと解散式をやって綺麗に締め括りたいわよ。」

それからひとしきり、今回の決定についての首を傾げたくなるような裏話の数々を聞きました。

「ところで、ちょっといいかな。マリアはなんでこの会社に残りたいの?今の仕事、好きじゃないってあれほど言ってたじゃない。」

ようやく気持ちを落ち着かせてから、彼女に尋ねてみる私。

「どうして社外に転職先を見つけないのかって聞いてるの?」

「うん。だってこの会社に特別愛着があるわけじゃないでしょ。第一、こんなひどい目に合わされてるんだし。」

すると即座に彼女が放ったのが、この一言。

“I don’t have irons in the fire.”

直訳すると、こうですね。

「火の中の鉄を持っていないのよ。」

製鐵過程で炉に入れられ、高熱でオレンジ色に輝いた鉄のことを指しているのだろうな、とは想像が出来ました。

“I don’t have irons in the fire.”
「成形前の鋼を持ってないのよ。」

でも、どういう意味なんだろう?こんな深刻な会話のさ中にイディオム談義をぶち込むことはさすがに憚られたので、後で調べてみることにしました。

「エドとエリカは古くからのコネクションがあるし、技術もあるからさっさと行き先が決まったわ。クリスのところで働いてるカレンも技術畑出身でPMP持ってるから、安心よ。私には、そういう武器が何も無いじゃない。もっと前から、真剣に職探しを始めておくんだったわ…。」

引き続き彼女のポジション探しを手伝う約束をし、ミーティングを終えました。席に戻って、さっき彼女の使ったフレーズの意味を調べてみました。Irons in the fire(成形前の鋼)とは、この後圧延などの処理を施せば最終製品になる段階の鉄のことを指していて、マリアの場合は「働き口になる可能性のあるポジション」ですね。

“I don’t have irons in the fire.”
「仕事のあてが何もないのよ。」

要するに、まさかのための備えが無い、ということです。外部の人脈、特殊技能、資格、それに具体的な転職の勧誘などが無ければ、簡単には外へ飛び出せない…。

翌日、ランチルームで部下のカンチーと隣り合わせになりました。弁当を広げながら、PMP試験対策講座がすごくためになっている、と嬉しそうに話す彼女。真っ直ぐにその目を見つめ、こう答える私でした。

「学び続けよう。それこそが、生き残るための武器なんだ。」


2 件のコメント:

  1. 今回のイデオム、オイラ的には
     「私、つぶしが効かないのよねー・・・」
    じゃないかと思うのだが。溶鉱炉から出てきたばかりの真っ赤な鉄は、叩き方次第、加工の仕方次第でどんな形にでもなるってことから考えたらそんなニュアンスかと。
     あと、おこがましいようだが「こんな深刻な会話のさ中にイディオム談義【をぶち込むことは】・・」って表現は、[~で話の腰を折ることは]の方が適切かと思いますゾ。
     ここの所の記事で[ぶち込む]ってのを気に入って使っているように感じるケド、息子君の影響なのカナ?

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  2. ご指摘有難う。確かにここのところ、なんとしても最適なフレーズを見つけてやるぜという気合が欠乏気味かもしれない。日本語力の低下だねえ。イディオムの意味だけど、今日、古参社員のビルに確認してみました。Irons in the fire は「進行中の案件」という意味合いで使われることが多いとのこと。マリアが言いたかったのは、転職先の仕込みが何も出来ていない、ということだったようです。

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