2012年9月27日木曜日

Karma 悪行の報い?

昨日は私の担当プロジェクトのレビューがありました。同僚ミケーラが会議をリードし、経理のジョスリンが傍聴。15分遅れでやって来た財務のシェリーが、いかにもくたびれた様子で席に着きました。

「シェリー、残念ながらもうレビューは終わったよ。」
と私。このプロジェクトは異常なスムーズさで進んでいてケチの付けどころがないので、レビューはあっという間に終わってしまうのです。

「あらそうなの。遅刻の常習犯でごめんなさいね。」
来週月曜付けで新組織体制に移行するため、南カリフォルニア地域の重鎮である彼女は毎日てんやわんやなのです。

「念のために知らせとくけど、10月から私の担当プロジェクト数が倍増するの。トップが替わって、そういう体制に決めちゃったのよ。」
「ええっ?今でさえとんでもなく多いのに、決裁さばけるの?毎日何百本も承認しなきゃいけなくなるんじゃない?」

と私。

「ブラックベリー(携帯電話)を手のひらに移植して、起きている間中承認ボタンを高速で押し続けるしかないんじゃない?」
とからかうミケーラ。そちらをじろっと睨んでから、

「なんで私がこんな目に会わなきゃいけないのかしら。」
と大きなため息をつくシェリー。するとミケーラが、笑いながら追い討ちをかけます。

“That’s karma.”
「それはカルマね。」
とんでもない、というように両手を開いて上に挙げ、シェリーが抗議します。

「あたしが何をしたっていうのよ!」
カルマ(「カーマ」と発音します)というのは輪廻転生と結びついている仏教の概念で、前世の行いの影響がこの世に現れる、そういう意味だと解釈していた私は、笑ってこう同調しました。

「前世の悪事が祟ったんじゃない?」
ところが、意外にも二人とも無反応。あれ?もしかして僕、とんちんかんなこと言っちゃった?

後で総務のトレーシーと話した時、この件を尋ねてみました。

「カルマって、前世の行いの影響が今回の人生に出るって感じに捉えてたんだけど、そもそも輪廻の考え方が無ければ意味が通らないよね?キリスト教徒の多いこの国で、その考え方って一般的なの?」
「そうねえ。もともとの意味はそうかもしれないけど、輪廻転生の文脈は無くなってるんじゃないかしら。単に、悪行の報いって意味で使われてると思うわよ。」
「この世での?」
「そう。前世はまったく関係なし。道につば吐いた途端に空から鳥の糞が落ちて来た、なんてケースでも使うわよ。」
「そりゃまた随分スピーディーなカルマだね。」
「私達アメリカ人って、この手の外来語をあまり深く考えずに使うのよ。」
なるほどね。「輪廻」とか「業」などという難解なコンセプトをまともに引きずってたら、日常会話で使いにくいもんな。

しかし、だとしてもちょっとノリが軽すぎると思うんだけど…。

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