2012年6月24日日曜日

Internment Camp 日系人収容所

同僚のジャックは、今年83歳の日系アメリカ人です。職場の誰よりもエネルギッシュで、頭脳明晰、身体強健。同僚リチャードが常々、
「僕の目標とする人だよ。」
と尊敬の目で語っています。

土曜日の夕方、そのジャックに依頼して、アメリカで生まれ育った日本人の若者たちに話をしてもらいました。集まったのは中高生とその親たち。誰しも成長の過程で、「自分は一体何者なのか」という疑問と向き合うと思います。特に日本人の親から生まれながら一度も日本に住んだ経験のない子供たち(うちの息子も含めて)に、ジャックの体験談はきっと長く心に残るだろう、と思いました。

彼は13歳の頃、家族親戚一同と日系人収容所(Internment Camp)に入れられました。当時戦闘状態にあった敵国日本を故郷に持つアメリカ人を隔離するための施設です。インターンメント・キャンプというのは、Concentration Camp「コンセントレーション・キャンプ」(強制収容所と呼ばれます)と違い、抑留キャンプとか捕虜収容所などと訳されます。違いと言えば、強制収容所では過酷な強制労働があったり非合法な死刑があったりするのに対し、スパイ行為やテロ行為防止のための隔離が主目的である点。

ただし、実態はそう生やさしいものではありません。住んでいた家も財産もすべて押収され、ひとりにつきスーツケース一つに収まる荷物だけ持ちこんで良しとされた上、砂漠の真ん中に作られた収容所で暮らすのです。ジャックの妹は入所二日目で熱中症を患い、十分な医療行為を受けられぬまま亡くなったそうです。

その後収容所を出た彼は、アメリカ海軍に入隊します。当時17歳。これが私やリチャードにとって、首を傾げたくなる決断でした。それほどの目にあっておきながら、なぜアメリカに忠誠を尽くす気になったのか?

「僕だったら絶対選ばない道だよ。」

とリチャード。

ジャックの説明はこうです。

「お金が全然無かったからね、学校に行きたくても行けなかったんだ。海軍に入れば大学に行かせてくれるって聞いて、それで入ろうと思ったんだよ。実際、船に乗ってヨーロッパをあちこち回れて楽しかったな。」

この暢気なコメントがどれほど当時の心境を正確に伝えているかは知る由もありませんが、常にポジティブな姿勢を失わない彼らしい表現です。

除隊後、UCバークレーで土木工学を学び、以降エンジニアとして60年間も社会に貢献して来たジャック。彼の子供たちや孫たちも、皆一流大学を出て社会で活躍しています。子供の頃アメリカ政府から受けた仕打ちを根に持ってひねくれていたら、今の彼はなかったでしょう。

ジャックは、親から受けた日本的なしつけや教育に感謝していると言います。

「日本人は本当に評判が良い国民なんだよ。みんなスーパーの駐車場で、あちこちにカートが置き捨てられてあるのよく見るでしょう。ところが日系スーパーの駐車場に行ってごらん。僕は今まででたった一台しか見たこと無いよ。日本人は買い物が終わったら、きちんと元の場所に戻しに行くからね。」

彼は最後に、こう語りました。

「アメリカは素晴らしい国だよ。こうでありたいと思う自分でいられる国だからね。僕はアメリカ人であると同時に、両親から日本人の持つ美しい道徳心を教わった。これは本当にラッキーなことだった。」

そしてこう続けます。

「若い君たちに一番伝えたいのはね。」

There is no mountain you can't climb.
登れない山なんてどこにも無いんだ。

もはや若者とは言えない私の胸にさえ、ズドンと突き刺さる言葉でした。最前列に座っていた中高生たちが、これをしっかり受け止めてくれたことを祈ります。

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