2010年7月31日土曜日

Stepping Stone & Springboard 飛び石と跳ね板


同僚エリカは、旦那のマークがラスベガスの仕事をゲットしたため、来月一杯でサンディエゴを引き払うことになりました。安定した職を捨て、長年の夢だったヘリコプター操縦士へのキャリアチェンジを決意したマーク。折からの不況で職探しは難航し、さんざん苦労した末につかんだ話なので、奥さんとしては手放しで喜びたいところなんだけど、友達や同僚と別れるのはやはり辛いようで、それが顔に出ています。

「君は正直、どう思ってるの?」
と聞くと、自分の気持ちよりマークの将来が開けたことが大事だ、と話します。

“This is a great stepping stone for him.”

Stepping Stone というのは、文脈から何となく、高い場所へ上るための「踏み台」とか「階段の石」のことだと解釈してましたが、ちゃんと調べてみてビックリ。これは、水の上に顔を出し、伝って行けば向こう岸に渡れるような石のことだったのです。日本語では「踏み石」とか「飛び石」、さらには「足がかり」などと呼ばれてるみたい。

あらためてマークのケースを考えると、彼のは「キャリアアップ」という垂直移動ではなく、別の職に移る水平移動。だからこの場合はStepping Stone がばっちり当てはまるのですね。それじゃ、垂直移動には何が使えるんだろう、と探したら、Springboard (体操や飛込み競技で使う跳躍板)がありました。

“Use your experience here as a springboard when you go back to your country.”
国に帰ったら、ここでの経験を活かして活躍してくれ。

いいのを二つ憶えました。

2010年7月29日木曜日

Dry sense of humor 「乾いた」ユーモアセンス

世界中の支社に散らばるスケジュラー約150人の頂点に立つ男、ボブがシカゴからやって来ました。過去二年間、数え切れないくらい電話で喋って来たのですが、顔合わせはこれが初。人懐っこくて気さくな男で、多分年齢は同じくらいでしょう。今夜は何も予定が無いというので、「和ダイニングおかん」に連れて行きました。

カウンターで肩を並べ、卵焼き、牛タン、焼きうどんなどに舌鼓を打ちながら、彼がかつて担当したプロジェクトのことや、シカゴの大火災や洪水の話などを楽しみました。
「ところで、今のボスは誰なの?」
と尋ねると、
「クリスだよ。」
との答え。このクリスという人には私は何度も会っているのですが、どこか格闘家を思わせる迫力があります。彼の繰り出す鋭い質問には定評があって、一番探って欲しくないところに迷いも無く包丁を突き立てるような冷酷さが売り。しかしその内面はとても穏やかで、下らない冗談もポンポン言うのです。しかし困ったことに、そういう時もふざけているのか真面目なのか、表情からは読み取れないのです。顔が怖いんだよなあ。
「クリスのこと、どう思う?」
と聞いてみると、
「いい人だよ。僕は好きだね。」
と答えた後、ボブがこう言いました。

“He’s got a dry sense of humor.”

直訳すると、「乾いたユーモアのセンス」ですが、これはまさにクリスのような人のためにある表現。冗談と本気の境界があまりに微妙で時に戸惑わされるような人。振り返ると、日本で最後に仕えた部長もそうでした。殺気漂う視線にすくみながら「ここで笑うべきかどうか」を真剣に悩むのは、ちょっとした恐怖体験でした。

2010年7月28日水曜日

Horse Trading 駆け引きの末に

私の関わっている大規模プロジェクトが、ちょっとおかしなことになっています。

クライアントが、相当の報酬を請合って仕様外の仕事を我々に課したにもかかわらず、最終的な要求額を目にした途端、「そんな大金は払えん」と手の平を返したのです。まあよくある話なのですが、こちらには彼らが「かかっただけ払うから」と言い続けて来たことを証明する書類が山ほどあります。常識的にはこちらの圧勝なのですが、彼らには、
「それじゃあおたくにはうちの全てのプロジェクトから手を引いてもらうぞ。」
という脅しの切り札があります。相手にそのカードを使わせないよう注意深く交渉を続けているのですが、何ヶ月も膠着状態が続いています。

今朝、社内で電話会議があり、この件で議論しました。会社トップの一人が、
「一体いくらの話をしてるんだ?交渉自体に金をかけすぎているんじゃないのか?」
と懸念を漏らします。プログラム・マネジャーがこれに答えて、

“True. We don’t want to get to the point of diminishing returns.”
「その通りです。費用対効果がゼロになるところまで行ってはいけません。」
Diminishing Returns は、日本語だと「収穫逓減」。要するにいくら頑張ってもそれほど効果が上がらなくなる状況ですね。

“We also don’t want to get into their horse trading.”
「彼らの駆け引きに引きずりこまれるのも避けたいです。」
このHorse Trading (抜け目ない駆け引き)というのは、かつて馬の売買においては客観的な評価が難しいため、腹黒い駆け引きが横行していたことから来ている言葉だそうです。

“We need to break the impasse.”
「この膠着状態を打開しないとな。」
Impasse (袋小路)の同義語にはDeadlock(行き詰まり)があります。

今日の電話会議では、こんな具合にクールな英語表現がざくざく出てきたので、メモ取りに大わらわでした。

2010年7月27日火曜日

Blonde Moment 紳士は金髪がお好き

才気煥発、敏腕PMのキャスリンは、メールの返信が誰よりも速いのですが、それが仇となって月曜の朝珍しくヘマをやりました。副社長のクリスに、私が
「別途送った書類への承認をお願いします。」
とメールを送ったのですが、そのCCに彼女の名前を連ねていたのです。それを自分に宛てたメールだと勘違いしたようで、五秒もしないうちに、
「私、そんな書類知らないわよ。」
と全員に向けて一斉返信。
「クリスへの依頼だったんだよ。」
と彼女だけに向けて返信したところ、十秒後にお詫びのメールが返って来ました。

Sorry…having a blonde/Monday morning moment…
ごめん。月曜の朝でちょっとボケちゃった。

このBlonde Moment というのは、「ドジな瞬間」という意味で、ブロンド(金髪)を「ドジ」とか「天然ボケ」という風に扱ってるのですね。

アメリカ人の間には、金髪の女性は「可愛いけど多少おつむが弱い」という固定観念があるようで、ずっと以前にもデイヴから、
「リンダと話が噛み合わないのは何故でしょう。それは彼女がブロンドだから。」
というジョークを「誰にも言うなよ」と釘を刺された上で教えてもらいました。やっぱりこれは、本人が言う分にはセーフでも、他人が冗談のネタにするにはヤバイ種類の表現なのでしょう。

キャスリンも自分の有能さをよく分かっているからこそそんなことが言えるわけで、ほんとに「可愛くてちょっとバカ」なブロンド娘が同じセリフを吐いたら笑えないかも。

2010年7月25日日曜日

アメリカで武者修行 第17話 あっちは銃だからね。

アメリカ西海岸の最南端に位置するサンディエゴは、アラスカからの海流に乗って吹いてくる冷たい潮風と、内陸の砂漠から押し寄せる乾いた熱気とが奇跡的なバランスでブレンドされ、年間を通じて不自然なまでに快適です。いわゆる「抜けるような青空、爽やかな涼風」が一年中続くのです。そのため、冷暖房設備の無い住宅も少なくありません。

年明けにニューヨーク支社から助っ人としてやって来た若手エンジニアのトムとヨンは、サーフィンをこよなく愛す男達です。二人で海岸近くにアパートを借り、毎日待ったなしの設計業務に追われつつも、早朝とアフター5には欠かさずサーフボードを抱えてビーチに走ります。ダウンタウンのパブで彼らの歓迎会を催した時、トムが顔をほころばせてこう言いました。
「この仕事の話を貰った時は、夢じゃないかと思ったよ。サーフィン天国のサンディエゴに行けるなんて、願っても無いチャンス。一も二も無く飛びついたよ。」

さて私は2月中旬、そんな温暖なサンディエゴを後にして、真冬の日本へと旅立ちました。ミシガンの妻子とロサンゼルス空港で合流しての一時帰国です。三ヶ月も父親の顔を見ていなかった一歳の息子は、もしかして忘れられてしまったのではというこちらの心配を知ってか知らずか、無邪気に抱っこをせがんだ後、そのまますやすやと眠ってしまいました。

東京滞在中は、懐かしい友達や元同僚たちと会い、好物の焼き鳥や魚を存分に味わいました。そして長期休暇で仕事に穴を開けるわけにはいかない私は、親戚宅に妻子を残し、わずか一週間でサンディエゴに舞い戻ったのです。

復帰した木曜日にリンダから最初に聞かされたニュースは、ボスのマイクが翌日から2週間いなくなるということでした。休暇かと思ったらそうではなく、リザーブとして軍に従事するとのこと。リザーブというのは、英和辞典では「予備役」と訳されていますが、そもそもそういう概念が日本にないので今ひとつピンと来ません。リンダに尋ねようとしたのですが、何かピリピリした空気を感じたので、ケヴィンに質問することにしました。
「聞いた?マイクがリザーブだって。」
「ああ、聞いたよ。」
「リザーブって何?国民の義務なの?」
「いや、義務じゃないな。本人の意思だよ。大人のボーイスカウトみたいなもんさ。軍隊生活が好きな人も中にはいるんだよ。」
というあっさりとした返事。彼も忙しそうだったため、あまり深く突っ込まずに会話が終わってしまいました。

そして何のアナウンスもないまま、マイクは翌日静かに姿を消しました。プロジェクトチームの誰ひとりとして、彼のことに触れません。知らないだけなのか、それともこれはよくあることなのか、はたまた機密事項なのか、私には見当が付きません。

その後、隣のキュービクルでリンダが誰かと小声で電話しているのが微かに聞こえて来たので、思わず耳をそばだてました。
「そうなの。空軍に所属して南米のどこかの基地に行くの。知らないわ。彼も知らされてないのよ。うん、ええ、そうよ。兵隊たちのテントを作る仕事だと言ってたわ。」
テントを作る仕事?これはきっと軍用語で仮設住宅のことなんだろうな、と勝手に解釈しました。

昼になり、トムとヨンを誘って近くのレストランへ行きました。マイク不在の話を持ち出したところ、彼等も初耳とのこと。
「リザーブって何のことか知ってる?」
と私。タイ出身のヨンは首を振ります。生粋のアメリカ人であるトムが、丁寧に解説してくれました。

大学へ行くのに奨学金を受けるケースはよくありますが、マイクは軍の奨学金を貰ったのだろうとのこと。これを受け取ると、以後毎年2週間以上は軍役につかなければならないのだそうです。とはいえ前線に立つことはまずないようで、兵站関連か事務が主な仕事らしい。しかも軍役のせいで今の仕事を失うことのないよう、法律でしっかり守られているそうです。
「でもこういう情勢だから、どうなるかは分からないよ。戦局が悪化すれば、前線へ送り込まれる可能性がゼロとは言えないから。」

昔の予備役志願者は実際に戦争が起こることなどあまり深刻に考えず登録する傾向があったようですが、ベトナム戦争以降はみな奨学金の申請には慎重になっているとのこと。しかし二の足を踏む若者達の背中を押すかのように、予備役登録による便益は魅力を増しており、大学へ行きたいけど金がない若者にとっては、喉から手が出るほど欲しい奨学金なのだそうです。

トムの説明がどれほど事実に即しているのか分かりませんが、本当だとすればマイクは若い頃、ある種のギャンブルを、しかも人生を賭けたギャンブルをしたということになるのでしょう。あるいはケヴィンの言う通り、単に「軍隊生活が好き」な人なのかもしれません。いずれにしても、戦後生まれの日本人である私にとって、会社の上司が軍役のために不在になるということは衝撃でした。

「こないだの土曜、サーフボードの手入れをしながら朝のニュースを見てたら、若い兵隊が自分の武器を一生懸命磨いてるんだよね。それを眺めながら、自分は何てラッキーなんだろうって思ったよ。」
とトム。
「こっちはサーフボード磨いてるのに、あっちは銃だからね。」
とヨン。思わず三人で笑いましたが、すぐに気まずくなって真顔に戻しました。

午後遅く、これまでマイクの背後で影のように存在感を消していたディレクターのクレイグが、突如スタッフ全員に向けて手紙を送りつけました。
「今後は毎月、全員を集めてミーティングをする。何が起きているのか、何をしなければならないのかを確認し、全員一丸となって仕事に取り組んで、しっかり成果を上げようじゃないか。」
何もマイクがいなくなったその日に配らなくても良さそうなもんだと思いましたが、要するにここでも小さな戦争が行われているのだと考えれば、納得のいく行動です。
「マイクが帰って来る頃には、勢力地図がすっかり変わっているかもな。」
とケヴィン。
「俺たちは少数勢力の一員だ。追い出されないように、きっちり仕事して能力をアピールし続けなきゃな。」

2010年7月22日木曜日

Grateful 彼には感謝してるわ。

「あの人に感謝してる」と、人に対する有難うの気持ちを別の誰かに伝えたい場合、英語で何と言うのか。

I thank him.

だと変だ。I want to thank him. だといい感じだけど、want to が主張し過ぎて鬱陶しい。

I appreciate him.

は文法的に不安(多分間違いだと思う)。

I appreciate what he has done for me.

だと、文法的には文句無いけどフォーマル過ぎる。どこかにぴったりした表現が無いかなあ、とずっと探していたところ、本日出くわしました。


同僚エリカのご主人マークがラスベガスの職をゲットしたため、夫婦で来月引っ越すことになったと今朝知らされたのです。
「じゃあ、今の仕事はどうなるの?」
と私。
「とりあえず家で働けばいいって言ってもらったの。必要に応じてサンディエゴに飛んで来ればいいって。」
「そりゃ良かった。エド(エリカのボス)は何て言ってた?」
「エドがアル(彼の大ボス)に掛け合ってくれたのよ。そういう条件で続けてもらっていいかって。彼には感謝してるわ。」

I’m grateful for him.

これこれ!いただきました。

On my end 俺のエンドは大丈夫だ

二人目の出産後、規定日数の産休を経て職場復帰した敏腕PMキャスリン。彼女は何か投げかけると、大抵驚くべきスピードで返答して来ます。
「産休明けの慌しい時に悪いんだけど、月例レポートを仕上げてくれない?」
このレポートは私が入力する部分もあるのですが、彼女に書き込んでもらうパートが多いのです。メール送信から5分ほどで、キャスリンから返信。

It’s ready on my end.

このmy end というのは「私の担当」とか「私の責務」とかいう意味で、頻繁に使われています。なんでエンドなのかな、と不思議に思って調べたのですが、腑に落ちる解説は見つかりませんでした。勝手に思い描いたイメージは、何かギザギザした外形の巨大な荷物を数人で運んでいて、おい大丈夫か、しっかり持ってるか、と声をかけると皆が口々に、
「俺のエンド(端っこ)は大丈夫だ!」
と叫ぶ。こんなのでどうだろう。

ともかく、便利な言い回しなので今後使って行こうと思います。

2010年7月19日月曜日

ラスベガスはバーゲン中

同僚エリカのご主人マークは、プロのヘリコプター操縦士を目指して搭乗時間を稼ぐ毎日です。搭乗時間が多くなればなるほど報酬も良く仕事の質も上がるそうで、目指しているのは救命ヘリの操縦士。このレベルに行き着くにはあと三年くらいは乗らなければならないみたい。その下のレベルが、メキシコ湾での石油採掘プラントへ人員を輸送する仕事。これは住むところも左右されるし危険も伴うので、家族は犠牲を強いられます。現在の経験量で最短距離にあるのが、ラスベガスで観光客を乗せて遊覧する仕事。

この週末、彼が仲間数人と集まって食事した際、その話をしたそうなのですが、そのうちの一人が、
「そりゃいいな。今ならラスベガスじゃ住宅の売れ残りや差し押さえ物件が溢れてるから、住まい探しには困らないぞ。」

“There are a lot of good deals there.”

最近読んだ雑誌でも、あの街は全米で最も住宅価格の下落率が大きい都市のひとつとして紹介されていました。ところでこの “Deal” という単語ですが、この文脈では「バーゲン品」という意味になります。「取引」とか「商談」という意味に使われることが多いのですが、私が鮮烈な印象を受けたのが、映画「グッドモーニング ベトナム」で使われた一言です。

「君のせいで、バーで二人死んだんだぞ。」
と責める主人公に対し、ベトナム人のファンという青年が答えます。
“Big f〇〇king deal!” (そりゃ気の毒だったね!)
そして泣きながら続けるのです。
「僕の母さんは死んだ。そして兄さんも。アメリカ人に殺されたんだぞ!隣の家の人も殺された。その奥さんもだ。何故かって?奴らにとっちゃ、僕らは人間じゃないからさ。単なるちびのベトナム人なんだよ!」

“Big deal!” というのは、「それがどうした?」と皮肉で言う時使うのですね。胸を引き裂かれるような辛い場面だったのですが、初級レベルの英語学習者だったはずのファン青年がこんな高度な英語表現を習得していたということに、度肝を抜かれたことを憶えています。

さて、ラスベガスの “Good deals” についてポジティブな意見をもらったマークですが、彼はこう答えたそうです。

“The problem is that those deals are getting better every day.”
「問題は、そのグッド・ディールが毎日良くなっているってことさ。」

つまり、今でもどんどん値下がりしているしてるから、手を出すのはヤバイという皮肉ですね。こういう「味のある」切り返し、かっこいいなあ。

2010年7月17日土曜日

アメリカで武者修行 第16話 とにかく強く押し返すのよ。

鳥の巣ひとつで工事がストップするという事態は、日本で都市開発に携わっていた頃に何度も見聞きして来た話です。彼らがいつどこで巣を作るかなんて、我々人間の力の及ぶところではなく、プロジェクト担当者にはなす術がありません。地震や雷にあったようなもので、運が悪かったと諦めるしかないのです。それでもどういう訳か私の担当プロジェクトだけは、いつもこの「天災」を免れて来ました。なのに今、はるばるアメリカにまでやって来て、しかもよりによってこんなタイミングで経験させられるとは。日本で運を使い果たしちゃったのかなあ、とため息が出ました。

気を取り直し、ティルゾに頼みます。
「すぐミシェルに伝えてくれない?知恵を集めて対策を練って欲しいんだ。州政府の担当者に聞けば前例を教えてくれるんじゃないかな。」
「分かった。さっそく当たってみる。」
「土質調査会社には、まだこのことを伝えないでくれるかな。今、彼らとはややこしいことになっててね。」
「ミシェルに釘を刺しておくよ。」

さて、ミシェルやティルゾが対策を練っている間に、こちらは急いで土質調査会社への手紙を仕上げなければなりません。とうとう相手のトップが抗議文を送りつけて来たのです。いわば最後通牒。これは担当者どうしのやり取りとは訳が違います。私は過激な表現を避けて丁寧に原稿を書き上げ、リンダに手渡しました。赤ペンを握ってさらっと目を通した彼女は、朱を入れるまでもないと言わんばかりにこれを突き返し、
「駄目よ、こんなの。」
と薄笑いを浮かべました。
「何なの、これ?ご不満は理解している?短期間に何度もJVの担当者が変わったため、コミュニケーションがうまく行かなかった点は認めるですって?あなた、何考えてるの?前にも言ったわよね、絶対にこんな甘いことを書いちゃ駄目。訴訟になった時つけこまれるでしょ。とにかく強く押し返すのよ。」

そうだった、日本流の「和の精神」は通用しないんだった。さっそく彼女の指導を受け、全面的に書き直しました。
「これは一括請負の業務である。会議にどれくらい時間を使おうが知ったことではない。おたくはリスクを承知で契約書にサインしたはずだ。このプロジェクトに参加している企業はすべて、皆おたくと同じ条件でやっている。予定通り仕事を続けるように。」
マイクにこれを見せると、「うん、いいね」と一発サインでした。

昼休みになり、近所の中華料理屋へ出かけて豚チャーハンを買い、職場の食堂に戻りました。既に食事を始めていた同僚たち数人と談笑しているうちに、私の一時帰国の話になりました。
「今度一週間だけ休みを取って、家族に会いに行くんだ。」
「へえ。ミシガンに帰るの?」
「いや、ミシガンのはワイフの実家なんだ。日本に帰るんだよ。」
「ふ〜ん。」
こんな時、職場の誰一人としてそこから話を膨らませようとはしません。日本について何か質問するとか、自分の知っている日本語や日本文化について話すとか、何か無いの?とその度に微かな不満を覚えたものでした。自分がどんなに日本人であることを意識したところで、周りは全くそんなことに興味がない。このことに慣れるのには随分時間がかかりました。

生まれ育った国を30代後半で飛び出し、アメリカで会社勤めをするなどということは、一世一代の冒険だと思っていました。誇りにすら感じていたのです。そんな過剰な自意識に冷や水を浴びせたのは、ちょっと前に何人かの同僚と交わした会話でした。総務経理担当のシェインは中国出身ですが、両親を含め親戚のほぼ全員が文化大革命で社会的に抹殺され、過酷な思春期を送ったそうです(詳しい事情はあえて聞きませんでしたが)。スイス出身のオットーは南アフリカで長く暮らしていたそうですが、治安が悪化し、動乱のさなかに脱出してアメリカに辿り着いたのだとか。国を出る間際には車を止められ、こめかみに銃を突きつけられたと語っていました。極めつけは、ベトナム出身の男性社員。70年代後半、社会主義化が進む中、迫害を恐れた人たちが小舟で国を脱出するいわゆる「ボート・ピープル」が何十万人もいましたが、彼もその一人だったのです。十人用のボートに50人以上乗り込み、何十日もかけてはるばるアメリカまで流れ着いたのだそうです。 新天地で十年間必死に働き、ずっと待たせていた婚約者をベトナムから呼び寄せてめでたく結婚したんだ、と明るく語ってくれました。

戦争もなく治安も良い国で青春時代を過ごし、バブル景気に浮かれ騒いだことさえある我が身を顧みて、密かに恥じ入りました。もう二度と自分の渡米を「冒険」などとは飾り立てまいと心に誓うと同時に、世の中には信じ難いほどの苦難を経て来た人が星の数ほどいるのだということに、畏怖に近い敬意を覚えたのでした。

夕方になり、午後中続いていた会議からティルゾとミシェルが戻って来ました。ティルゾのキュービクルを訪ねます。
「鳥の巣の件、どうなった?」
「ああシンスケ、これを見てくれよ。」
彼は連邦政府の開発許可書を広げ、黄色い蛍光ペンで塗りつぶされた段落を指差しました。
「カリフォルニアナットキャッチャーの巣が確認された場所を含む緑地の外輪部では、騒音レベルを60デシベル未満に抑えなければならないんだ。ミシェルが確認したら、最近の掘削機は静かなもんで、そもそもそんなレベルの音は出ないらしい。更に調べを進めてみたら、現場はこのへんじゃ一番交通量の多い道路脇なんだな。日中の騒音は常に70デシベルを超えていると来た。」
「そんな騒々しい場所で巣作りを始めたってわけ?」
「そうなんだ。鳥さんの方はおかまい無しさ。問題は、そういう状況でも騒音対策を講じる必要があるのかってことだ。午後中かけて議論したんだが、対策なしで調査を進めても良いという州政府のお墨付きを、誰も引き出すことが出来なかった。仕方なく、防音壁で掘削機を囲んで作業してもらうことにしたよ。」
「車の騒音の方が大きいのに?防音壁に何の意味があるの?」
ティルゾが笑いました。
「それこそお役所仕事というやつさ。すべてルールブック通りに進めないと不安でたまらないんだよ、あの人達は。まあ何はともあれ、これで調査を進めることが出来るんだ。良しとしなきゃ。」

その晩、土質調査会社のバリーとeメールで何度かやり取りし、翌週水曜から掘削を開始することで、遂に合意が得られたのでした。

Beyond a shadow of a doubt 疑惑の影

同僚のパトリシアは、向上心の旺盛な女性です。見習いたいのは、どんな偉い人が相手でも、その人の決裁が必要なら臆せず執拗に催促すること。忙しい人というのは大抵、そうでもしてもらわないとなかなか時間が作れないのです。

更に彼女の見上げた所は、こうと思ったらしっかり断定すること。これが私にはなかなか出来ない。自分が正しいと思っても、つい「こう思うんだけど」と一歩引いてしまうのです。それによって相手が意見を言いやすくなるから、と考えてやっていることなのですが、穿って見れば、単に逃げ道を作っているだけかもしれません。

一昨日、彼女が話をしたいというので30分だけ時間を作ったところ、
「本題に入る前に、ちょっと聞いていい?」
と私の顔をじっと見つめます。わずかに怯みつつ先を促すと、
「ここだけの話にして欲しいんだけど、最近私の仕事ぶりについて何か悪い評判聞いてない?」
悪い評判どころか、彼女の仕事は常に群を抜いてスピーディーで正確です。苦情など聞いたことがないし、あったとしてもそんなのは取るに足りない中傷でしょう。私の見解を伝えると、
「良かった。一応チェックしときたかったの。」
アグレッシブな言動が目立つ彼女にも、そんな繊細な一面があったのだと思うと新鮮でした。
「さっそく本題に入るわね。」
彼女が持ち出したのは、どうしても数字が合わなくてこの二ヶ月ほど四苦八苦している案件。先日私も手伝って見事解決したと思いきや、再度システムに弾かれてしまったというのです。そこで私たちは、過去にさかのぼって数字を一つずつ眺め、必要な修正は全て済ませたことを確認しました。その時彼女がこう言ったのです。

“Beyond a shadow of a doubt, we’ve made all the necessary changes.”
「ほらね。私たち、必要な修正はすべて完璧にやったでしょう。」

Beyond a shadow of a doubt は「疑惑の影もかからないほど明白に」、つまり「疑問の余地なく」という表現です。さすがパトリシア。断定の仕方が人並み外れてるぜ!ホレボレしました。

2010年7月16日金曜日

Ostentatious てやんでい

昨年最も高い報酬を得た女性経営者25人は誰か、という記事を読みました。

第一位の女性の年俸は$38.6ミリオン、日本円にして約35億円、月給にすると約3億円です。ファストフード店で働く女性の、およそ三千人分の稼ぎですね。教育レベルや責任の重さが違うといえ、同じ人間に生まれてこれほどの差が開くとは・・・。

高い報酬で人材を集めるのはプロスポーツと同じ。メジャーリーグに世界中から優秀な選手がやって来るのは、その桁違いな報酬もさることながら、世界レベルの一流選手と一緒にプレイ出来るから、というのが大きな動機になっていると思います。

良くも悪くも、これがアメリカ流。しかしこの国のこういうやり方を、快く思っている人ばかりではありません。同僚のリタとこの話をした時、彼女は
「物には限度ってもんがあるわよね。」
と不快感を表しました。

同僚でベテランPMのダグは、日本で長く仕事したこともある親日派。彼は日産自動車の社長室を訪ねたことがあるそうなのですが、その時の印象をこう話していました。

“The CEO’s office was not as ostentatious as those in the U.S..”
アメリカの社長室みたいにケバケバしくなかったよ。

このOstentatious(アステンテイシャス)は、「派手な」「けばけばしい」という意味。「ゴージャス」にネガティブな意味合いを加えた単語だと思います。ちなみに私は、「ステンテイ」の部分の響きが江戸弁みたいで好きです。

2010年7月15日木曜日

Bite my lip 唇を噛む夏

週に一、二回、同僚達数人と30分ほどWalkingを楽しんでいます。今日はリタと並んで話しながら歩いたのですが、彼女のご主人はこの二年ほど職にあぶれているそうです。もともと中小企業の社長として建設業を営んでいたのですが、折からの不況で会社をたたまざるを得ず、以降ずっと失業状態。たまに来る話と言えば、マクドナルドのバイトと良い勝負の低賃金ポストばかり。

彼女の妹夫妻はミシガンにいるのですが、ご主人が軍を引退して鉱山の仕事に就き、そのあまりの過酷な労働環境に嫌気がさして辞めることにしたそうです。数ヶ月前にその話を聞いた時、思わず妹に、
「辞めるのは簡単だけど、その後のあてはあるの?何か手を打ってからにした方がいいんじゃない?」
と忠告したそうです。夫のケースで思い知らされているので、不況下での仕事探しがいかに厳しいかを懇々と言い聞かせたそうです。それでも妹は楽観的な態度を崩さず、
「大丈夫よ。彼ならすぐに見つかるわ。」

先週、夏休みを利用して家族大集合を果たした際、リタが妹にご主人の職探しの首尾を尋ねたそうです。
「それが、全然見つからないのよ。この不況は本当に深刻だわ。」
「だから言ったじゃない」という言葉が出かかったけど、さすがにぐっと堪えたわよ、とリタ。この時彼女が使った表現が、

“I had to bite my lip.”

唇を噛まなければならなかった、というのが直訳ですが、言いたいことを堪える時に使えるフレーズなのですね、これが。日本語で「唇を噛む」のは悔しい時。英語で「唇を噛む」のは余計なことを口にしないよう堪える時。びみょ〜な違いですね。

2010年7月13日火曜日

Safe and Sound

昨日の朝一番、ウガンダの首都カンパラでテロ行為と見られる爆弾事件があり、大勢の人が死傷したというニュースが飛び込んで来ました。被害者の中には、アメリカから派遣されていたクリスチャンのボランティア団体がいた、と書いてあります。鼓動が早くなりました。私の元同僚デニスが、まさにそういう立場で数ヶ月前からかの地にいるのです。

その数時間後、デニスからメールが入りました。彼も彼の仲間も無事とのこと。ほっと胸をなで下ろします。メールのタイトルは、

Safe and Sound

でした。ところでこのSound については、以前から不思議に思っていました。なんでサウンド(音)が、「無事」という意味に使われてるの?

ちょっと調べてみたところ、意外な事実を発見。Sound の名詞はフランス語のSon(音)と同じ語源。形容詞はドイツ語のGesund(健康な)と同じ語源から来ているのだそうです。つまり、同一の単語が二つのまったく違う語源を持っていたのですね。

2010年7月11日日曜日

アメリカで武者修行 第15話 巣作りを始めちゃったよ。

月曜の午後、一人の紳士がオフィスに現れました。イタリア系白人。贅肉のない長身に乱れのない銀髪。糊の利いた白シャツにエンジ色のレジメンタルタイ、プレス機から出て来たばかりだと言わんばかりに鋭い折り目のついた、紺のスラックス。完璧に磨かれ、嫌味なほど光る黒い靴。まるでビジネスウィーク誌の表紙から抜け出て来たような、いかにもアメリカ企業の重役。これはニューヨークからやってきたクレイグに違いない、と私が自己紹介をすると、握手をしながら 、
「組織図を送ってくれたのは君だね。有難う。」

名前を憶えていたことに驚愕して思わず顔を見上げると、彼の眉間には二本の縦じわが深く走っており、鼻から下だけで笑っています。まるで鋭利な刃物のような威圧感を漂わせて。

翌日の午後、マイクがスタッフ全員を会議室に集め、新しいボスを紹介しました。クレイグ自身も十分ほど自己紹介をしたのですが、子供が五人いて一番下の子が大学を卒業したばかりだとか、以前からずっとこのプロジェクトへの参加を希望していたが些事に忙殺されずっと果たせなかったとか、ワイフが今度の週末に合流するとか、そんな話ばかり。自分の肩書きにも、自己紹介の核心であるはずの「これから何をするのか」にも、結局最後まで触れませんでした。色褪せた紺のポロシャツ姿のマイクはその間ずっと、壁にもたれて貧乏ゆすりをしながら俯いていました。いかにもエグゼクティブタイプのクレイグの隣で、巨漢ゆえの猫背も手伝って、まるで叱られてふてくされている子供のように見えました。

「何か質問はありますか?」
と皆を見渡すクレイグ。製図チームのグレッグがさっと手を挙げ、おどけた調子で尋ねました。
「名前はクレイグでしたっけ?それともグレッグ?今の事務所にはうんざりするほどグレッグがいるんで、間違えないよう、はっきり聞いとかなきゃと思ってね。ちなみに俺はグレッグだけど。」
会議室のそこここから、ためらいがちな乾いた笑いが漏れました。新しいボスは眉一つ動かさず、平板な声で答えました。
「クレイグです。」
そして一瞬の静寂の後、マイクがのっそりと壁から身を起こしてパンと手を叩き、
「さ、仕事にかかろうぜ。」
とそっけなく皆を解散させました。

それからマイクは、ナンバー2のグレッグを伴ってクレイグと会議室にこもりました。スタートからわずか数ヶ月でプロジェクトの手綱を手放さなければならないなんて、屈辱的な話です。さぞかし悔しい思いをしているだろう、とその胸中を案じながら仕事を続けました。ケヴィンが話しかけて来ます。
「シンスケ、そういえば来月末に日本へ帰るって言ってたよな。」
「うん、一週間だけね。ミシガンにいる家族とロサンゼルスで合流して一緒に行くんだよ。」
「そいつは楽しみだな。それまで首を切られないよう祈ろうぜ。」
「ああ、まったくだ。無職で里帰りなんて、悲惨過ぎるよ。」

その後、一時間に一度くらいのペースでマイクが部屋に戻って来ました。5分ほどかけてeメールやボイスメッセージのチェックを済ませた後、再び会議室に向かいます。驚くべきは、この日の午後彼の身に起こった変化でした。会議室から戻る度、何か強いビタミン剤を打ち込まれて来たかのように生気を得て、顔には笑みが戻り、盛んに冗談を飛ばすようになったのです。まるで、長年の持病だった偏頭痛から生まれて初めて解放された人のようでした。ケヴィンが、あれを見たか、と目配せした後、
「どういうことだろうな。」
と首を傾げました。トップ会議で一体何が決まったのか、この日は遂に分かりませんでした。

翌朝、座席表の改訂版をシェインが配布して回りました。
「さあみんな、席替えよ。お昼までには新しい席へ移ってね。」
私とケヴィンはそれぞれキュービクルへ移動し、マイクはグレッグとの同居に逆戻り。三人で使っていたマイクのオフィスはクレイグ専用のオフィスに変わりました。新しいボスが一部屋まるまる独占するため、ところてん式に皆を押し出したという訳か、と思いながらよくよく座席表を見直すと、そこには慎重にレイアウトを検討した後が窺えます。私のキュービクルはリンダとフィルに挟まれており、契約関係を司るラインが出来ています。総務・経理担当のシェインはマイクやグレッグの部屋の隣りに移りました。これまでは空いた場所を早い者勝ちで占拠するというパターンで席が決まっていたため、業務効率が良いとは言えませんでした。さすがにはるばるニューヨークから呼ばれただけあって、細かいところから着実に改革を始めてるな、と密かに感心しました。

木曜の朝、隣のキュービクルからリンダが仕切り壁を回ってやって来ました。
「昨日の晩頼んだORGへのクレームレター、できてる?」
「ええ、原稿はほぼ完成です。ところで、こういう文書の差し出し人はクレイグになるんですよね。」
「そうよ。今後ORGへの文書はすべて彼がサインするの。」
「肩書きはプロジェクトマネジャーでいいんですか?」
「いいえ。プロジェクトマネジャーはマイクのままなの。クレイグの肩書きはプロジェクトディレクターよ。」
「ディレクター?それじゃ、マイクは今のままの仕事を続けられるんですか?」
「そういうことね。技術的な案件や下請け相手の決裁権は、これまで通りマイクにあるんですって。そのかわり、対ORGのような政治的な話は全てクレイグに任せることになったの。だからマイクは、プロジェクトの推進に集中出来るってわけ。」
「それは良かった。じゃ、マイクもあなたもサクラメントに帰ったりしないで済むんですね。」
「そうなの。本当に良かったわ。」
リンダが穏やかに微笑みました。

その後、ミシェルがやってきて言いました。
「土質調査の前捌きがほぼ終わったわよ。ORGに確認したんだけど、来週の火曜から掘り始めてもいいって。マイクにさっき報告したら、ほっとしてたわ。」
「良かった。やっとだね。いろいろ調整してくれて有り難う!苦労かけたね。」
ほっと胸を撫で下ろしたものの、これは束の間の休息でした。午後になって、マイク宛にこんな手紙が届いたのです。土質調査会社の社長からでした。
「調査のスケジュールがここまで延び延びになっているのは、我々の責任ではない。この数ヶ月、下請けとの調整やらおたく達との会議やらに膨大な人件費を使ってきた。これを支払ってくれるまでは一切仕事をしないからそのつもりでいてくれ。」
慌ててリンダにこれを見せると、顔色一つ変えずに言いました。
「30分以内に返事を書きなさい。マイクのサインを貰ったらすぐファックスして、オリジナルは後から郵便で送ればいいわ。」
「でも、なんて書けばいいんです?」
「決まってるでしょ。文句を言わずに仕事をしろと書くのよ。」
さっそく原稿に取りかかったのですが、リンダの言う通りにはどうしても書けません。頭を抱えていたところ、環境保全担当のティルゾが私のキュービクルへ飛び込んで来ました。
「シンスケ、やっかいなことになったぞ。カリフォルニア・ナットキャッチャーが土質調査ポイントのすぐ近くに飛んできて巣作りを始めちゃったよ。」
カリフォルニア・ナットキャッチャーというのは、保護対象種の渡り鳥です。
「ええっ?ということは?」
「ということはだね、彼等が再び渡りを開始する9月末までは、実質的に騒音を出せないってことなんだ。つまり、土質調査どころか、全ての工事に待ったがかかるかもしれないんだよ。」

2010年7月9日金曜日

In spite of 意地悪されても

今日はエリカとマリアと連れ立って、近所のラーメン屋「野球鳥」でランチを食べました。いつもは一緒に出かけるけど今日はたまたまいなかった同僚ラリーの話になり、マリアが言いました。
「つい最近分かったんだけど、ラリーって職場の集まりに一切出ないのよ。」
「そうなの?」
「毎月やってる誕生パーティーあるでしょ?みんなでケーキ食べながらその月に生まれた人を祝うってやつ。こないだ、ラリーの名前もリストにあったのに行こうとしないから、訳を聞いてみたのよ。そしたら、この会社のすべてが嫌いなんだって。だから絶対そんな行事には参加しないって。」
これは意外でした。ラリーは温和で人当たりも良く、そんな偏狭さなど微塵も感じられないのです。
「吸収合併のどさくさで色々あったでしょ?随分首切られたし。仲の良かった人が無慈悲にレイオフされたとかそういうことを根に持ってるんじゃないのかな。」
私自身も上司や同僚を理不尽なやり口で何人も失っているため、会社を恨む気持ちは分かります。で、ついかばうようなことを言いました。するとマリアが、
「あたしが言いたいのはね、たかがケーキでしょ!ってこと。」
この時エリカが言いました。
「そんなことを続けてたら自分自身の評価が下がるばかりなのにね。まさに、“Don’t cut off your nose to spite your face.”よね。」

え?なになに?何て言ったの?と問いつめて、教えてもらいました。直訳すると
「自分の顔に仕返ししたいからって鼻を切り落とすな。」
だけど、意味は
「怒りに任せて行動すると、自分自身をおとしめることになりかねない。」
だそうです。ちょっと調べてみたところ、12世紀の女性が貞操を守るために醜くなろうとした話から来ているそうなのですが、つまり、何かに反応して過激な行動に出れば、我が身を傷つけることになる。天に唾するな、ってことですね。

ところでこのSpite というのは、「意地悪」という意味なんだそうです。ずっと知らずに使ってました。"In spite of" (にもかかわらず) みたいに。

In spite of the bad weather, we went to the beach.
天気が悪かったにもかかわらず、僕らはビーチに行った。

とか。これって実は、「意地悪されても」ということだったんですね。「天気に意地悪されたけど行ったんだ。」なんて、ちょっと可愛いじゃん。

2010年7月8日木曜日

Quitessential 典型的な


映画「いとこのビニー」を観ました。慣用句がジョークの種として山ほど出て来るので、英語学習者には楽しい作品です。
借金を返せと迫ったのに対し、
“Over my dead body.” (そんなことはさせないぞ)
と挑発する大男に、
「じゃああんたを殺せばいいんだな。」
と切り返す。
“In your dreams.” (あり得ないね)
とせせら笑われると、
「いやいや、現実の話をしてるんだよ。」

日本語に訳すと全く面白くないんだけど、英語だとこのやり取りが結構笑えるのです。ところでこの作品中に、前から使ってみたかった単語「Quintessential」が出て来ました。

He was just being the quintessential Gambini.
彼は典型的なガンビーニ家の人間として振る舞ってただけだよ。

これは、無実の罪で裁判にかけられる若者二人の片割れが、法廷でおかしな言動を連発する弁護士の叔父さんビニーをかばうため、彼がかつて手品師のトリックをことごとく見破ったエピソードを語る場面です。そもそもquint は五番目、essense が元素という意味で、ギリシャ哲学ではQuintessenseを「第五元素」と呼んでいたそうです。万物の構成要素を火、風、土、水とし、これを四大元素と呼んでいましたが、さらに天上にしか存在しない元素「アイテール」を第五元素としたとのこと(なんのこっちゃ)。それが「神髄」という意味で使われ、形容詞のQuintessential が「神髄を現した」、そして「典型的な」となったわけ。

なんと今日さっそく、これを使うチャンスが訪れました。コスト管理意識の高さでは他の追随を許さない敏腕PMのエリックが、電話でこんな思い出話を語ってくれたのです。
「まだ僕が12歳くらいの時、母さんが保険会社に千ドルを超す補償を要求してたんだよ。そしたらこの会社が五百ドルの小切手を送りつけて来たんだな。母さんがこの時、こんなものに騙されるもんですか、この小切手は絶対現金化しないわ。したら最後、この人は半額以下で折り合ったとか何とか言ってつけ込むんだから、って粘り続けたんだよ。で、最終的に全額支払われたんだ。」
「面白いね。きっと君の家系の経済観念を表す典型的なエピソード(a quintessential episode)なんだろうね。」
「ああ、そうかもね。」

あとでちょっと気になったんだけど、これって褒め言葉になってたのかな。

アメリカで武者修行 第14話 政治的な圧力がかかってるんだよ。

2003年1月下旬。仕事量は日に日に増し、チームメンバーも50名近くまで膨張しました。私が赴任した当時はおそらく20人もいなかったでしょう。こうした状況で、リーダーシップの混乱は致命的です。会議でマイクとナンバー2のグレッグが公然と対決姿勢を見せることもあり、二人の指示が統一性を欠くことは日常茶飯事。何か新しい仕事が飛び込んで来るたびに「これはお前がやれ」と口頭やメールでマイクの指示が飛ぶものの、それが組織的な意思決定として浸透せず、会議中に「この仕事は誰がやるの?」と皆で顔を見合わせることもしばしば。

組織の膨張に伴い、オフィスのスペースも不足してきました。私は、ケヴィンとマイクと一部屋を分け合うことになり、グレッグはデイヴと同じ部屋に納まりました。私とマイクとのコミュニケーションはこれで大幅に改善されたと言いたいところですが、彼は毎日会議の連続で、オフィスにいる時間は一日約15分。溜まった決裁にサインしてもらい、その日あったことを簡単に報告するだけで精一杯。当然、仕事のスピードは鈍る一方です。

月曜の晩、オフィスを出て車のエンジンをかけたケヴィンが、開口一番こう言いました。
「マイクが噂を聞いたらしいんだ。近いうちにORGの誰かが更迭されるらしいぞ。」
「更迭?工事がなかなか始まらないから責任を取らされるのかな。」
「そうとしか考えられないな。だとすると下っ端で済む話じゃない。トップの誰かが切られる可能性が高いな。」

火曜日、私はミシェルと相談してマイクを会議室へ呼び出し、土質調査の進め方について進言することにしました。ミシェルが慎重に言葉を選んで説明します。
「許認可がクリアになっていないので、今掘れるのはこの一箇所だけです。わざわざ掘削機を現場へ搬入し、たったの一箇所しか掘らないのは非効率的です。まとめて数箇所掘れるタイミングが来るまで待った方が得策ではないでしょうか。」
マイクは鬼のような形相で彼女と私を代わる代わる睨みつけた後、吐き捨てるように言いました。
「いいか、二人ともよく聞け。もうそんな悠長なことを言っている場合じゃないんだ。政治的な圧力がかかってるんだよ。一箇所でもいいから大至急掘らせろ。とにかく仕事が捗っていることをアピールするんだ。」

水曜の朝、ORGのマイクが転勤するというニュースがオフィスを駆け巡りました。転勤というのはもちろん表向きの理由で、これが更迭であることは誰の目にも明らかです。その晩、我々JVとORGの主なメンバーがメキシコ料理店に集まり、盛大な送別会を開きました。マイクとグレッグが主役を挟んで座ります。品のない冗談を連発し、ヒステリックに笑いながら肩を叩き合う三人。居心地が悪くなるほど陽気な宴会でした。あれほど煮え湯を飲まされて来たボスのマイクが、仇と呼んでもいい男とどうしてあんなに仲良く飲めるのか、理解に苦しみました。

翌朝、そのマイクが私に言いました。
「今後、下請け関連の仕事はフィルと組んでくれ。悪く思わんでくれよ。お前じゃ勤まらんというわけじゃない。仕事量が膨らんでいることだし、お前にも相談役が必要だ。フィルは経験豊富だから、彼とよく相談して仕事を進めてくれ。」
その後、彼は全員に召集をかけ、緊急ミーティングを開きました。
「我々の直面している問題、それは毎日毎日金を垂れ流しているということだ。非効率な仕事を続けることはもう許されない。ここで組織の立て直しをしようじゃないか。」
そう言って彼は、ひとりひとりの名前と担当業務をあらためて確認しました。それからチームワークの必要性を熱く説きました。まるでフットボールのコーチがキックオフ直前にロッカールームで選手達を鼓舞するかのように。

会議終了後、フィルが私のところにやって来ました。彼は白髪の老人で、口ひげまで真っ白です。おそらく60代後半でしょう。しかし背筋はしっかり伸び、肩幅も広く、かつて激しいスポーツに明け暮れていたに違いないと思わせるエネルギーを感じます。素肌に白いシャツを纏い、胸元からは銀色の胸毛がのぞいています。彼はブルージンズの長い脚を折り曲げて片足をゴミ箱の上にどかっと置き、柔和な笑顔で自己紹介してくれました。彼はサンフランシスコから単身赴任しているのだとか。
「シンスーク。」
彼は私の名をそう呼びました。すぐに訂正しましたが、何度か言い直しても発音が変わらないので、そのままの呼び方で結構ですと言いました。
「今日から下請け業者の仕事全般を監督する役目を仰せつかった。よろしく頼むよ。お前さんの勤勉ぶりはマイクから聞いてる。二人で楽しくやって行こう。」

翌朝早くから、マイクは珍しく黙々と机の整理をしていました。大きな段ボール箱を持ち込み、書類を選り分けて乱暴に投げ込んでいます。そして不意にどこかへ出かけたまま、それっきり戻って来ませんでした。午後になり、リンダがそっと部屋に入って来て後ろ手にドアを閉め、囁くような声でケヴィンと私に話しかけました。
「PBがトップのポストに人を送りこんでくることになったわ。マイクを降格させるみたい。ETとPBの担当役員同士が旧知の仲で、二人で話して決めたらしいの。ETの役員はマイクをかばおうともしないのよ。人を増やしてくれと何度頼んでも知らん顔をして彼を苦しい立場に追い込んだ末にこの仕打ち。役員がよその会社の肩を持つなんて信じられる?」
リンダの声は、か細いながらも怒りに震えていました。
「新しいボスは来週の月曜に着任するんですって。ずっと前から話は決まってたってことよね。」
ケヴィンと私は暫くあっけにとられていましたが、
「それで、彼はどうするんですか?」
と私が聞くと、
「分からないわ。でも、このダンボールを見てよ。」
とマイクの机の足元で口を開けた二つの空き箱を指差しました。不要書類の処理をしているのだとばかり思っていたのに…。
「私はまだここで働きたいんだけど…。彼がサクラメントに戻ると言うならついて行くしかないわね。」

そこへ突然ドアが開き、マイクが戻って来たため会話は中断しました。そして二人は低い声で何事か話し合った後、さっさと早退してしまいました。私とケヴィンは暫く無言のまま顔を見合わせていました。予想もしなかった背後からの一突き。マイクは一体どうするのでしょうか?ケヴィンが顔を曇らせます。
「えらいことになったな。俺たちだって、マイクに雇われてる身だ。これは人ごとじゃないぞ。」
その時、ナンバー2のグレッグが部屋に入って来ました。いつもと変わらぬ涼しい笑顔です。
「シンスケ、うちの組織図持ってない?」
この人はマイクの身に起こっている事件を知っているんだよな、と思いながら答えます。
「ありますが、全く実態と違いますよ。一年くらい前のものだと思いますが。」
「ある物でいいんだ、何でも。この人にメールしてくれない?」
Eメールをプリントアウトしたものを渡されます。蛍光ペンで線が引かれたメールアドレスに組織図のファイルを送信してから、あらためてメール本文を読んでみました。
「JVの組織図、そしてCTBやORGも含めた包括的な組織図があれば有難い。そちらに到着する前に見ておきたいので。」
そこで、ORGから貰ったファイルも続けて転送。その3時間後、「組織図を送ってくれて有難う。」という返信が来ました。こんなタイミングで「組織図を見ておきたい」というのだから、新しいボスはこの人に間違いないでしょう。もう一度グレッグから渡されたメールを読み返してみると、文章の最後にこう書いてありました。

クレイグ@PB ニューヨークより。

2010年7月6日火曜日

Butterfly バターのハエ


南米はエクアドル沖にある、ガラパゴス諸島への旅を夢見ています。世界中でそのエリアにしかいない動物や鳥、それに稀少種の虫などがたくさんいるそうなのです。何年か先に息子と一緒に行けないかな、と先週旅行会社でパンフレットをもらってきました。ところが、料金の高さに愕然。こんなに近くに住んでいるんだから飛行機代は安いはず、と高をくくってたら、そもそもエクアドルまで行く飛行機便はごくわずかで、乗り継ぎが多い分だけ高い!むうう、甘かった。

そこで、もうちょっと近くにある自然の宝庫、コスタリカではどうかな、とあっさり方向転換。南米コロンビア出身のマリアに話したら、15年前に行ったことがある、とのこと。筏での急流下り、天然温泉、猿の大群がごく近くまで寄って来る野外レストランなどを楽しんだそうで、絶賛してました。ところが虫の話を切り出した途端、
「恐ろしく大きい虫、それもびっくりするような色のがうようよいるの。私、もう引きつっちゃったわよ。」

虫好きな私にとってはヨダレの出そうな話だけど、女性は大抵虫を嫌います。一年前くらいに本屋で見つけて衝動買いした「Rainforest」という極彩色の虫やは虫類が数多く載っている本があるのですが、息子は興味を示すものの妻は全く関心無し。なんでだろう?

ところで、蝶のことをButterfly と言いますが、前々から不思議に思ってました。「バターのハエ」なんていくら何でも失礼じゃないか、きっと女性が名付けたのだろう、と。でもどうしてバターなんだ???

で、調べました。諸説あるものの、有力なのが「バターのような色をした羽で飛ぶもの」という説明。きっと最初にモンキチョウを見た人がそう名付けたのでしょう。ま、そういうことなら許しましょう。

2010年7月5日月曜日

Runaway ランナウェイ とても好きさ


Wall Street Journal で、菅首相の増税案によって民主党内に不協和音が生じているという記事を読みました。記事の論調は概ね首相の肩を持っていて、高齢化を前にして税を据え置きというわけにはいかないだろう、と書いています。で、その文中にこんな表現がありました。

The runaway government debt

「ランナウェイな政府の負債」とは何か。私はついラッツアンドスター(あの当時はシャネルズだったけど)の曲を思い出してしまったのですが、あれは「駆け落ち」とか「逃亡」いう意味の名詞でした。今回のは形容詞。さて何だろう。

調べてみたら、「暴走する」とか「手に負えない」という意味でした。なるほどね。「手がつけられないペースで膨らんでいく政府の負債」ということか。以前、Runaway Juryという、陪審員を巡る権謀術数を描く映画があったけど、あれも「手に負えない陪審員」という意味だったのか!すっきりしました。

それにしても菅さん、この先大丈夫なのかな。

2010年7月4日日曜日

アメリカで武者修行 第13話 言い訳はやめろ。

年が明けました。アメリカがイラク攻撃の準備を開始したと、ラジオのニュースで盛んに報じています。前年9月のテロ事件以来、みんなでイラクをやっつけようじゃないかという国際キャンペーンを展開して来たアメリカでしたが、大量破壊兵器の決定的証拠も見つからぬまま、遂に戦争に突入することを決めたようなのです。しかし街の様子には何の変化もなく、サンディエゴは相変わらずのんびりした雰囲気。

妻から届いたメールには、ショッピングモールの長い渡り廊下を嬉しそうにヨチヨチ歩く息子の写真が添付されていました。私がミシガンを発つ前の晩、彼が初めて自力で立ち上がるのを目撃したばかり。あれからわずか二ヶ月の間に二足歩行へ進化を遂げるとは。人間というのは大した生き物だなあ、と感心しました。

さて、職の安定性に大きな不安を抱えつつも、3月には妻子をサンディエゴに呼び寄せることを決め、メキシコ人女性宅での居候生活を終えてアパートに引っ越しました。職場までの運転時間が15分から40分へと大幅に伸びましたが、近くに住むケヴィンと交替で車を出す、いわゆる「カープール」によってガソリン代を節約することに決めました。

年末年始の休みを終えて一週間ぶりに出勤したボスのマイクは、挨拶もそこそこにいきなり大噴火。
「土質調査はいつ始まるんだ?!奴らの尻を叩くのはお前の仕事だ!さっさと仕事にかからせろ!」
あわてて下請け業者のバリーに電話したものの、あいにく不在。電話を下さいとメッセージを残して切った途端、じりじりしながら背後で聞いていたマイクが再び爆発。
「そんなご丁寧な物言いがあるか!一時間以内に電話をよこさなかったらクビだと言え!」
彼は踵を返してどこかへ消えたかと思うと、間もなく紙を一枚手に戻ってきました。見ると、ORGのマイクからのメールでした。
「土質調査が始まらないため、我々の工事スケジュールが滅茶苦茶になっている。この責任をどう取るか、二日以内に書面を持って回答せよ。」
ORGのお偉方の名前が、綿々とCC欄に並んでいます。
「分かるかシンスケ、俺はこうして昼も夜もなく奴らから吊るし上げられてるんだ。何とかしろ!」

土質調査会社との契約書は12月初旬にサインされました。これで私の仕事は一件落着、とホッとしていたのです。どうして調査が始まらないのかは謎でした。数分後にバリーから電話がかかって来たので事情を聞いてみたのですが、これがまたさっぱり要領を得ません。
「我々は掘削機も準備して、契約の翌日から掘れるようにしていたんです。なのに現場に着いてみたら、必要書類が受理されていないからまだ掘れない、と追い返されたんです。書類を提出し、さあこれで掘り始められるぞと思ったら、今度はまた別の書類が出ていない、なんて言うんですよ。もう何回こんな無駄なやり取りをさせられてるか分かりません。ずっと待機させている掘削機のレンタル料だって、馬鹿にならないんですよ。これ、払ってもらいますからね。」
「ちょっと待って下さい。追い返されたって、誰が追い返したんですか?」
「ORGの人たちですよ。」

さっそくORGのマイクのオフィスを訪ね、どんな書類が必要なのか聞き出しました。
「奴らの書類には、報告書の審査に関する記述が抜けていたんだ。安全講習の日程も入っていなかった。それから交通整理計画書も出ていないんだぞ。」
言われてみればいちいちもっともな要求なのですが、そんなことは今まで誰一人として事前に指摘してくれませんでした。この際だから、調査のために必要な許認可手続きのチェックリストとかフローチャートを入手しておこう、と彼に尋ねたところ、そんなものは存在しないと言われました。
「契約書に書いてあるだろう。」

実は、提出が要求されている書類のほとんどが、我々の設計契約書には書かれておらず、その上位の契約書群(ORGと開発事業者CTBの間の契約書など)の条項に基づいていることが分かりました。それら全てを読破して提出必要書類を拾い上げるには、短くとも一週間はかかりそうです。埒が開かないので、許認可に関わっていそうな人をひとりひとり訪ね歩き、しつこくインタビューして許認可フローチャートを作り上げました。そうして初めて、調査がなぜ始まらなかったのかが明白になったのです。

まず、高架区間の橋脚設計についてORGの承認が下りなければ、掘削位置が決まりません。掘削位置が決まったら交通整理計画を作成し、これを盛り込んだ調査計画書をORGに提出。ORGの承認後、これが更に州政府へ提出されます。州政府の審査と承認には通常2週間かかります。また、調査作業員を集めたら、全員が事前にORGによる安全講習及び環境保全講習を受けなければなりません。講習会は週に一回しか開催されないので、ひとりでも欠席するとその調査チームは一週間動けないのです。

どれひとつ取っても、そもそも契約担当の私がどうこう出来る話じゃなかったことが分かり、少し安心しました。さあ、こうしてとにかく潰すべき課題は出そろった。次の一歩はどの課題に誰が取り組むかを割り当てることだ、と急いでマイクのところへ報告に行きました。ところが、話し始めて3秒も経たぬうちに、
「言い訳はやめろ。俺は早く調査を始めさせろと言ってるんだ!」
と怒鳴って立ち去ってしまったのです。数分後にはナンバー2のグレッグまでやってきて、
「シンスケ、俺の我慢も限界だ。今週中に懸案事項を全て片付け、来週には調査を開始させろ!」
とわめきます。これにはさすがに参りました。「ああ、このままじゃクビになる」と気分が落ち込んで行きます。「シンスケはアグレッシブさに欠ける」とマイクがクリスマス前に漏らしていたようなことをケヴィンから聞いたばかりだったので、余計深刻になりました。

さんざん悩んだ末に一計を案じ、設計屋のミシェルに相談に行きました。金髪に青い目、ケンタッキー州出身。サルサダンスが得意だというスレンダーな彼女は、映画のオーディションを受けにカリフォルニアへやって来たと言っても信じてもらえそうな美貌です。でも現実には橋脚の座標を土質調査会社へ送るという、極めて「エンジニアな」仕事をしているのです。
「しょうがない人たちね。怒鳴っていても仕事は前に進まないってことを、そろそろ分かってもいい頃だと思うんだけど。」
「そこで君の助けが必要なんだ。キーメンバーを集めて会議を開いてもらいたいんだ。僕がやるよりも、君が表に出た方がスムーズに行くと思うんだけど、どう?」

翌週、ミシェルの主催で「土質調査スケジュール調整会議」が開かれました。調査会社、設計JV、ORG、そして州政府のメンバーが一堂に会し、課題をひとつひとつ丹念に洗います。直前まで「会議なんて時間の無駄だ。つべこべ言わせずに穴を掘らせろ。」と毒づいていたボス達ですが、出席してみてやっと事態の複雑さが呑み込めたようでした。会議終了後、マイクはミシェルのキュービクルに椅子を持ち込み、長時間話し込んでいました。

その日の晩、帰りの車でケヴィンに今回の一件を報告しました。ミシェルに仕事を押し付ける結果になっちゃって悪かったかな、と言うと、
「それで良かったんだよ。まさかマイクもミシェルを怒鳴りつけたりはしないだろう。そもそも、契約担当のシンスケがどうして土質調査会社の尻を叩かなきゃいけないんだ?役割分担が不明瞭過ぎるよ。」
と言いました。ずっと引っかかっていた不審の種。それがこの「役割分担の不明瞭さ」だったのでした。
「そうだ。そうだよね。マイクが当然のように責めて来るから自分の落ち度だと思ってたけど、よく考えたら契約担当者が実際の仕事の進め方に干渉するっていうのはちょっと変だよね。」
「まあ、このプロジェクトは慢性的に人手不足だから一般論は通用しないかもしれないけど、チームの役割分担を明確にすることくらいは出来るはずだよ。今のままだと、内野フライを何人もの野手が捕りに行ってぶつかるみたいな失策がなくならないよ。」
夜のハイウエイを運転しながら、ケヴィンが続けました
「ただね、このプロジェクトの最大の失敗はそのことじゃない。」
「最大の失敗?何のこと?」
「シンスケも今回気づいただろう。このプロジェクトには、マスタースケジュールが存在しないんだ、」
「スケジュール?僕が来た当時、確かアーロンたちが作ってたと思うけど。」
「ああ、確かに作ってた。だけどそれ以降、このオフィス内で見てないだろう。完成版は存在しないんだよ。大体マイクもグレッグも、最初からスケジュール作りには参加しようともしなかった。彼らはスケジュールの価値を理解していないんだよ。今回のことだって、そもそも本気でスケジュールづくりに取り組んでいたら、土質調査に必要な許認可なんてあらかじめ全て洗い出しておけただろう。何故調査が始まらないのかなんて、シンスケを詰る必要さえなかったんだよ。」
「ORGはそのことについて文句言ってないの?」
「彼らも同罪だ。いや、もっと悪いか。アーロンたちが彼らに工事スケジュールを見せてくれるよう頼んだ時、そんな情報は渡せないって一蹴されたんだ。設計施工一体型のプロジェクトなんだぜ。工事部門とのコーディネート無しに、どうやって意味のある設計スケジュールが作れるって言うんだ?俺が思うに、人に見せられるようなちゃんとした工事スケジュールなんて、彼らも持ってなかったんじゃないかな。100ミリオンドルを超える規模のプロジェクトがマスタースケジュール無しでスタートするなんて、俺には信じられないよ。」

アパートに戻ると、小型ラジオのスイッチを入れてジャズのFM局に合わせました。ベッドルームが二つ、バスルームも二つあるのですが、家具は今のところこのラジオと小さなランプ、それに自分用のマットレスのみです。これらをリビングルームの片隅に集中させ、限られたエリア内でひっそり暮らしています。妻子とともに生活を始めるまで、あと2ヶ月。それまでこの仕事、続くのだろうか?今日は会議の後、とうとう一度もマイクが話しかけてこなかったけど、これで本当に良かったのだろうか。ひょっとして、彼に愛想を尽かされたのかな。何ともいえない不安を抱えながら、眠りについたのでした。