2010年10月10日日曜日

アメリカで武者修行 第26話 そこに立って何か考えているのかね?

2003年9月。イラクへ飛んだマイクの留守を預かるため、サンディエゴ支社から新しいプロジェクトマネジャーがやってきました。名前はジョージ。業界歴四十年の大ベテランであるだけでなく、海軍勤務が長かったようで、ベトナム戦争にも出征したとか。向かい合うと思わず目を逸らしたくなるほどの、強烈な威圧感があります。軍服を着ていないことがむしろ不自然に感じられるほどで、その風貌はまるで「最前線の司令官」。短く刈り込まれた銀髪、鍛錬を物語る太い首。「入りたまえ」と入室を促す張りのある声は、内臓に響きます。コンピューターの操作に使うのは、両手の人差し指のみ。文書は全て手書きです。そのくせ、エクセル表の中の小さなミスは瞬時に探し当てます。何かそのための特別な嗅覚でも備わっているかのようで、私の提出する書類をさらっとめくっただけで、ぴたりと計算ミスを指差すのです。仕事の指示は常に箇条書き。しかもすべて報告期限つき。普段の報告・連絡でも、中華包丁でザクザク白菜を切るような具合に会話を運ばないと、眉間の皺がみるみる深くなっていきます。込み入った事情を説明し始めると直ちに制止し、
「で、君の結論は?」
と、まるで喉元に短刀を突きつけるかのように容赦なく挑んで来ます。一問一答が淀みなく流れなければ、回答者は不合格、そして退場、という厳しいルールで動くマネジャーなのです。

ある日のこと、この十ヶ月間必要に応じて測量業務を頼んできた業者との契約額が上限に近づいて来て、今後更に仕事をしてもらうためには契約変更が必要だと上申したところ、
「金が足りないと言われてハイそうですかと払うわけにはいかん。何故その額で不足なのかを明らかにさせ、納得できない理由であれば現契約額で仕事をしてもらう。」
と言われました。至極真っ当なお答えです。
「しかし昨年秋の発注時点で、どれくらいの業務を依頼するか正確に見積もる術はありませんでした。必要に応じて測量を頼む、というだけの契約書を結んだのもそのためです。現実の業務量が当時の見積もりより多いことが分かった今、今後は無料で働いてくれ、という訳にはいかないと思うのですが。」
と言うと、
「君はある契約額で家の設計を業者に頼んだ場合、窓のデザインが難しかったから、と泣きつかれて更に金を払うのかね?」
と返されました。
「いえ、この場合、家の設計を任せると言っておきながら庭や生垣のデザインも頼んでしまった、というたとえの方が適切だと思います。」
と切り返すと、
「それではその追加分の設計額を算出して、まず元請けに申請するべきだろう。」
と即座に突っ込まれ、ぐっと詰まってしまいました。即答を心がけるあまり、とっさに中途半端なたとえ話を持ち出してしまったことを悔やみました。下請け会社と結んだ契約書があまりにも曖昧なため、過去の測量業務は「これは対象外」「これは元々頼んでいたこと」と明確に線を引くのが容易でなく、しかも私は発注事務を担当してきただけで、各測量業務の中身を熟知していたわけではないのです。

私がそのまま黙ってしまうと、二秒もしないうちに、
「君はそこに立って何か考えているのかね、それとも何も浮かばなくて黙っているのかね?」
と真顔で尋ねます。うわぁ、そんな非情な追い込みをかけるのかよ、と焦りながら、
「どうやって対象外の数字だけ弾き出そうか考えていたんです。」
と答えると、
「実際に仕事を依頼した設計担当者達に話を聞きたまえ。まず内容を分析しなければ数字は出せんだろう。」
おっしゃる通り。すごすごと退散です。

席に戻って落ち着いて考えているうちに、そのくらいのチェックは最初からやっておくべきだった、どうして自分は言われるまで動かなかったんだろう、と無性に悔しくなって来ました。しかしすぐに、責任の範囲が明確に定義されていないことがこうした問題の原因になっているのだという、何度も蒸し返し繰り返し考えてきた結論にまたもや辿り着きました。さっそく翌朝、ジョージに質問します。
「これまで私は、下請契約や支払い等の事務的業務を遂行するよう指示されてきました。実際、下請け業者の仕事内容にはほとんど関わって来なかったのです。昨日のご指示を総合すると、もう少し踏み込んだマネジメントを要求されているように受け取れるのですが。」
すると彼は、
「その通りだ。君には事務処理だけでなく、下請けのマネジメント全般をやってほしい。君の経歴から考えたら、そうすることが正しいと思う。これは君自身のためでもあるんだ。」
と、私の目を真っ直ぐ見据えました。これにはちょっと感動しました。この人は部下のバックグラウンドをしっかり把握しており、その成長まで考慮に入れて指示を出しているのだということが分かったからです。

そのジョージが、ある日我が社のスタッフを全員召集しました。ケヴィンと私、そして総務経理担当のシェインを含め、今やたった十人しかいません。会議の目的は、現在のプロジェクトに関する会社の方針説明でした。
「我々が社長から与えられた期限は、来年三月。クラウディオと話して、三月一杯でこのオフィスから撤退することにした。それまでに残りの設計業務を片付け、未解決の課題はすべて清算する。三月まで時間があるということではなく、最悪のケースが三月なのだと思ってほしい。このオフィスで我々JVチームが一日過ごすだけで、毎日数万ドルのコストがかかっている。一週間でも一日でも早くここを去れば、それだけ損を減らせるんだ。とにかく総員全力を挙げて成果を出して欲しい。」

会議の後、あらためて彼のオフィスを訪ね、ずっと心に引っかかっていた疑問をぶつけました。
「私の担当業務は、効率よく進めれば、年末までにすべて片付くかもしれません。その場合、三月を待たずにお払い箱になるということでしょうか。」
彼は微かに顔を歪め、少し間をおいてから、
「残念ながらそういうことだ。君もすぐに仕事探しを始めた方がいい。」
と答えました。

こうして、業務効率を上げれば上げるほど失職の日が早まるという、一種自虐的なゲームに組み込まれてしまった私。冷静にまわりの状況を眺めれば、そもそも残留組のひとりでいること自体が奇跡的と言うべきなのでしょうが、仕事探しの過酷さを一年前に経験している私に、このゲームを楽しむ心の余裕はありません。

オフィスの入り口近くの廊下の壁には、「在、不在」を示すマグネットボードが二枚かかっています。ある朝、左側の一枚から名前がすっかり消えているのに気付きました。よく見ると、去って行った人たちの名札が下の方に乱雑にまとめられているのです。そしてその上にマジックで、大きな下向きの矢印と Graveyard(墓地)という殴り書き。誰の仕業か知りませんが、それを見た人たちは皆顔を見合わせ、寂しい笑いを浮かべて立ち去るのでした。

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