2017年4月23日日曜日

Mental Support メンタル・サポート

土曜の夜明け頃、隣で寝ていた妻が突然上げた奇声で目が覚めました。何か怖い夢でも見ているのか?かねてから、悪夢にうなされて苦しみが長引くようだったら揺り起こして救済する協約になっているので、がばと跳ね起きて身構える私。ところが、次に彼女が発した音声があまりに意表を突いていたので、思わず首を傾げます。

「テーン、ナーイン、エイト、セヴン!…」

え?英語でカウントダウン?彼女の頭の中で、一体何が起こっているんだろう?

それからひとしきり激しく何か叫んだ後、むにゃむにゃ言って再び深く寝入ってしまいました。すごいなこの人、「ゲラウェイ」とか何とか、誰かを怒鳴りつけてたぞ。英語で夢見るんだ、うちの奥さんって…。

渡米して17年、夢も現もきっちり日本語メインの私。40年近くも日本で暮らしたのだから脳のOSが日本語仕様なのは当然なのかもしれませんが、これだけ毎日英語環境に身を置いてるんだから、そろそろ「何でも英語で考えるようになっちまって、困っちゃうぜ」くらいのかぶれようを見せても良さそうなものだと思うのです。アメリカ人相手に日本語で話している夢から醒めた時などは、さすがにがっくり来ます。「そこは英語だろ!」と自分に突っ込まずにはいられない。

しかしその一方で、脳の英和切り替えスイッチを完全にコントロール出来るようになる日は近く、今はその過渡期にあるのかもしれない、と思う自分もいます。実際、規則性は不明ながら、「何故だか今日は面白いほど英語ペラペラだぜぇ!」という日もあれば、「ダメだ、今日は完全にカタコトの日だ!」という時もあり、段々とではあるけれど「ペラペラの日」の割合が増えているような気がするこの頃。ひょっとしたら来年あたり、「あれ?気が付いたら長期間ずっとペラペラだぞ?」てなことになっているかもしれない…。

今思い出しても恐ろしいのですが、木曜はその「カタコト」の日でした。11時半にスタートした、全米対象のウェブトレーニング。参加者の音声を予めミュートしてあったので、リアクションが全く分からない状態で講義を開始します。小会議室の大画面テレビの右隅に、ひとり、また一人と出席者名が加わり、総勢百数十名のリストが急速に仕上がって行くのを見つめながら、静寂の中でスピーカーフォン相手に話し始める私。ところが、次に喋るべき英文がさっぱり浮かばないのです。ぴったりした単語もなかなか見つからない!焦れば焦るほどどもり気味になり、脇汗が噴き出して来るのを感じます。やばい、久しぶりにド緊張しているぞ!

その時、部下のカンチーが背後のドアから静かに入って来て、テレビ画面の右横の席にそっと座りました。そして画面と私の両方に目を配りながら、ここぞという話のポイントで、いちいち深く頷き始めたのです。何かを言いあぐねて天を向こうとすると、穏やかな表情でこちらを見つめ、大丈夫ですよ、という目配せで私を落ち着かせる彼女。そんな風にして45分間のプレゼンが、無事終了したのでした。

「本当に有難う。君がいてくれたから、何とか乗り切れた。実はかなり緊張していてね、あのまま一人で続けてたらヤバかったよ。」
とお礼を言うと、彼女がニッコリ笑いました。

“Great. I came here for your mental support.”
「良かった。私はここに、メンタル・サポート(精神的サポート)をしに来たんですよ。」

その日の朝、今日は「カタコト英語の日」であることを悟った私は徐々に緊張して来て、彼女にそれを漏らしたのです。カンチーはそんな上司を応援しようと、わざと私の顔が見える位置に座ってくれたのですね。

17歳のころ、初めて大勢の前でプレゼンしたんです。」

海洋学を通じて青少年を育成する非営利団体の活動に参加していた彼女。渡米したばかりで英語もカタコトだったのに、連邦政府や大企業から来た招待客たちの前で研究発表をしなければなりませんでした。

「プレゼン中ずっと、私のメンター達が全員で最前列に座って、大きく頷いたり拍手したり、ガッツポーズを取ったりと、全力で応援してくれたんです。あの時の感謝の気持ちは、今でも忘れません。」

あの経験が無かったら今の自分は無い、と言い切るカンチー。情景が再び目の前に蘇ったのか、ぐっと言葉に詰まって涙ぐみます。愛情溢れる応援が、誰かの人生を変えることってあるんだなあ、と静かに感動を味わう私でした。この日彼女から受けたメンタル・サポートも、きっと忘れることはないでしょう。

さて、話変わってこの土日は、15歳の息子が所属する水球クラブが大会に出場するということで、家族三人オレンジカウンティへの一泊ドライブ旅行をしました。彼のチームは上級者が多く、息子は控え選手。こちらの優勢で試合が進んでいる時は短時間だけ交代要員を務めるのですが、接戦になるとなかなか出番がありません。それでも限られた時間で懸命にプレイする彼を見て、胸が熱くなる私でした。そもそも水嫌いの私には、何分間も足をつけずに泳ぎ続ける、というだけで既に想像を絶する偉業であり、その上でボールをパスしたりシュートしたり、というのはもうカミワザ。プールサイドで選手以上に熱くなって審判を猛烈に野次ったりしている親を見ると、

「子供たちがこんなに頑張っているだけで素晴らしいじゃないですか。勝っても負けても、皆で温かく褒めましょうよ。」

となだめたくなってしまいます。ところが私の横にいる妻は、どちらかというとそういう「興奮しがちな親」のグループに属しているようで、観戦中にしばしば大声で叫びます。高校時代バレーボールに打ち込んでいたこともあってか、スポーツとなると無性に燃えるみたい。土曜の最初のゲームでも、息子だけでなく他の選手たちの名も呼びながら、「行け!」とか「泳げ!」とか「シュート!」とか、まるでコーチのように指示していました。

最初の試合を白星で終えた後、二試合目が始まるまで近くのカフェで時間を潰そうと妻子を乗せて車を走らせているうちに、ハッと膝を打つ私。

「あ、分かったぞ!」

どうしたの?と尋ねる後部座席の息子。

「なんでママが夢でカウントダウンしてたのか、今分かったんだよ!」

水球のルールで、攻撃開始から30秒以内にシュートしないといけない、というのがあります。厳しいディフェンスに会い味方が攻めあぐねているうちに残り10秒を切ると、ベンチにいる者が、あるいはゴーリーが、時には応援席の保護者たちが、大声でカウントダウンをしてシュートを促すのです。妻が夢の中で息子の水球観戦をしていたと考えれば、その後色々英語で叫んでいたわけも説明が付きます。この話を二人に聞かせた後、息子に向かってこうまとめました。

「君のママは、寝ている時でさえ君たちを応援してるってことだよ。」

自分の寝言を全く覚えていないと言って、ケラケラ笑う妻。その時息子が、後ろから助手席へゆっくりと手を伸ばして妻の左肩に優しく触れ、落ち着いた声でこう言いました。

「ママ、有難う。」

15歳の少年の心に、妻のメンタル・サポートはしっかり届いたみたいです。


2017年4月15日土曜日

In the doghouse 犬小屋の中

木曜の晩9時前、外着に着替えて車の鍵を手に取り、ダイニングテーブルでパソコンに向かっていた妻に「行ってきます」と一声かけたところ、彼女が怪訝な顔でこちらを向きました。

「何言ってんの?二コラのお母さんが連れて帰って来てくれるってさっき話したじゃない。」

火曜と木曜の晩は、YMCAで水球の練習に励む息子を迎えに行くのが私の役割。この日も、いつも通りの行動を取っただけでした。

「え?そうだっけ?何にも憶えてないや。」

「一時間くらい前、自分から私に確認したんじゃない。」

う~ん、やっぱり全然思い出せない。

ここ最近、オフィスを離れても頭の中の自分はコンピュータ画面をにらんでキーボードを叩いる、という状態が続いてます。いよいよ来週木曜、全米の社員を対象としたウェブ・トレーニングを実施することが決定し、興奮状態でその準備に追われているのです。

「大丈夫?」

心配とも軽蔑とも取れる表情でじっとこちらを見る妻。彼女の様子からして、これは初めてのことじゃなさそうだぞ…。うわの空だった、というストレートな言い訳は失礼だし、本格的にボケ始めてるみたいだ、とふざけるのはもっとヤバい。

「あ、じゃあ今日は行かなくていいんだね!」

と軽いノリで切り抜ける私。

実はその日の午後、熟練PMのキースから聞いたある英語表現が気になっていました。ある部門の重鎮が突然クビになったのは、南カリフォルニア地域のトップに君臨するP氏に呼びつけられたのに断ったからだ、という噂話を教えてくれたキース。

「関係構築に長年費やして来た見込み客との初会合と重なっている。ようやく作った取っ掛かりを逃すわけにはいかない、と説明したのに、P氏はそれでも来いと強要したって言うんだな。結局クライアントを優先してP氏をフッた彼は、これであっけなくクビさ。」

P氏の絶対王政的統治については私も普段から感じていたところですが、具体的なエピソードを聞くのはこれが初めてです。あくまでも噂だけど、火のない所に煙は立たぬと言うからな…。

「まるで北朝鮮じゃないですか。」

「その通り。」

ドンピシャの形容を有難う、とばかりに微笑んで大きく頷くキース。彼はさらに、自分のプロジェクトをめぐるトップ会議について話してくれました(彼は招かれず、ある参加者から伝え聞いたそうです)。

ずっと冬眠状態だったプロジェクトを引き継いでみたら、受注の段階で既に赤字だった。それを正直に報告したら上司たちに猛攻撃を受けた。「即刻中止せよ」と迫る彼等に、契約関係にある仕事を放り出すわけにはいかない、と踏ん張るキース。私は彼と二人で打開策を検討し、大幅に収支見込を改善しました。しかしそれでも上司たちはうんと言わない。そんな状況で開かれた重役会議でした。損失見込み額をわざと大目に告げることで、P氏から「プロジェクト撤退」の聖断を引き出そうと画策していた様子のキースの上司たち。この時、沈黙を守っていた他のエグゼクティブが、

「何言ってんだ?キースが頑張って損失見込み額を大幅に下げただろう。君達だって何度もその説明を聞いてるじゃないか。」

と暴露したものだから、P氏は憤然としてキースの上司たちを叱りつけた、というのです。

この話を聞いて大いに溜飲を下げたであろうキースは、ニンマリ笑ってこう締め括りました。

“They are in the doghouse.”
「彼らは犬小屋の中だよ。」

ん?犬小屋?なんで?

その後すぐに話題が変わり、このフレーズの意味を聞くタイミングを逃した私。そこで翌日、同僚のポーラに尋ねてみました。「貴婦人」とニックネームを付けたくなるほどの気品を漂わせる彼女は、ホホホ、と笑ってこの質問を面白がります。

「一般には家庭内、特に夫婦間の揉め事に絡めて使われる表現だと思うわよ。」

奥さんに怒られた夫が「今夜は犬小屋で寝なさいよ」と告げられるところから来ているんじゃないか、とポーラ。あるウェブサイトでは、ピーターパンの物語中、子供たちをさらわれたのは自分の責任だ、と自戒の意味を込めて父親が犬小屋で寝る、というくだりからから来ている、と説明されていました。私の訳は、これ。

“They are in the doghouse.”
「彼らは反省中だよ。」

キースから聞いたエピソードをかいつまんで話したところ、

「確かにそういう文脈ならビジネスでも使えるわね。」

とポーラ。大事なのは、これが一時的な措置であり、いずれは家に戻る前提がある点。即刻クビなら、犬小屋も経由せず放り出されるわけですから。何か文例は無い?と聞くと、ポーラが楽しそうにちょっと宙を見つめてから言いました。

「夫が結婚記念日をすっかり忘れてたことがバレたの。彼は今、犬小屋の中(反省中)よ。」

記念日と言えば、我々夫婦は来月いよいよ結婚ニ十周年を迎えます。これをど忘れしたら、まず間違いなく犬小屋行きでしょう。いや、犬小屋で済むかな…。

ちょっとドキドキして来ました。


2017年4月9日日曜日

Build a better mouse trap より強力なネズミ捕りを発明する

火曜の朝、本社副社長のパットからテキストメッセージが入ります。「ちょっと話せない?」

彼女とは月一回程度、どちらからともなく連絡を取り合って近況報告を交わす間柄。でも今回はやけにインターバルが短いぞ。ついこないだ話したばっかりじゃんか。さっそく電話会議をセットします。

「前回の電話で、EACツールの話をしたでしょ。」

と切り出すパット。

EAC(Estimate at Completion)というのは、プロジェクトの最終予測値のことで、一般には最終予算額を指します。各プロジェクトから吸い上げられたEACが四半期毎の財務諸表に反映されるため、PM達は慎重に計算した数字をシステムに打ち込まなければなりません。算出ステップは次の通り。

1.現在に至るまでのコストを精査する。入力ミスなどがあれば直ちに修正する。
2.今後かかると予想されるコストを、論理的手法を用いて計算する。
3.1と2を合算。予算とのズレがあれば原因を究明し、軌道修正可能なら2に戻る。

単純なプロセスのようですが、実はこれが一般のPMにはかなりの難物なのです。会社の財務システムは扱いが容易でない上に、クライアント対応やチームとのコミュニケーションに多忙を極めるPMにとっては、データ分析や入力作業に時間をかけること自体に抵抗があるのですね。そんな、「データ処理のために雇われたんじゃねえぞ」と苛立つ彼等をサポートするのが、我々プロジェクト・コントロールの仕事。私がチームを拡大し続けている裏には、こういう事情があったのです。

2月に全米で使用開始した新PMツールの到来で、ユーザー達はこのEAC更新プロセスが劇的に改善されることを期待していました。これでようやく苦痛から解放されるぞ、と。しかし蓋を開けてみると、改善はおろかむしろ後退したようにさえ見えるインターフェイス。不満を爆発させるPM達に、

「そもそもEAC更新というのは、プロジェクト毎の様々な前提条件を組み込んだ上での試行錯誤を要求される作業なんです。ソフトウェアで一斉に自動化出来るような代物では無いんですよ。」

となだめる私。ツールに幻滅して毒づくよりも、この「試行錯誤」のステップをどこまで効率化出来るかを考えることが重要です。そこで登場するのが、私の作ったエクセルのワークブック。十年前に最初のバージョンを作ってから、会社のシステム変更に合わせて少しずつ改良を繰り返して来た、私の秘密兵器です。

PMツールからデータをダウンロードしてこのワークブックにぶちこみ、PMと一緒に複数の前提条件をひとつずつ変えながら最終コストを計算していく。シナリオが定まったらこれを最終版とし、数字をPMツールに打ち込み、エクセルファイルを添付して一丁上がり。

私のチームはこのワークブックを使って、南カリフォルニアを中心に何百人ものPM達をサポートして来ました。しかし最近になるまで、他の地域のPM達がどうしているかを考えたことがありませんでした。二週間前にパットが、全米のプロジェクト・コントロール担当者に私のワークブックをシェアして欲しい、と持ち掛けて来るまでは。

「あれから内部で色々検討したんだけど、会社としてトレーニングをするからには、上層部の了解を取っておかなきゃ、ということになったの。」

電話の向こうで話を進めながら、パットが私の反応を窺っているのが分かります。

「で、まずフランクに話してみたのね。」

フランクというのは、新PMツールを所管する上席副社長で、全米どころか世界の全支社を統括する重要人物です。思わず唸り声を上げる私に、やっぱりね、そのリアクションを待ってたわと言いたげな、小さい歓声を漏らすパット。

俄然、話が深刻になって来ました。

新ツールの登場で、EAC更新を含めたあらゆるPMプロセスが統合される。これはPM達の生産性を飛躍的に伸ばす革新的なツールなのだ、と標榜する立場にいるフランク。そこで「このツールは不十分で、シンスケの作ったエクセルファイルがその欠点を補いますよ。」と吹聴すれば、彼の顔に泥を塗ることになりかねません。

「安心して。EAC更新が簡単な作業じゃないことは、彼も重々承知しているの。何か補助的なツールが必要だという話はずっとして来たのよ。だからすごく興味を持ってるわ。」

ほっと息をつく私。

「ただね、今回あなたの作ったツールを本社発信のトレーニングで紹介することになれば、それなりの覚悟が必要になるの。」

何万人という社員に提供し、その評判が悪ければ、「本社はこんなガラクタを推薦したのか」という不満を煽りかねない。パットはおろかフランクの信用も地に堕ちるでしょう。

“It must be bulletproof.”
「ブレットプルーフである必要があるの。」

ブレットプルーフとは、防弾性能付きということ。つまり、多少手荒に扱っても誤作動を起こすことのない完璧なツールが要求される、というのです。そして、全米の重鎮たちに予め了解を取ってから紹介する運びになるだろう、その過程で誰かから痛烈に批判されてポシャる可能性は充分ある、と。メンツを潰されたとか、肩書も無い一社員の作ったファイルなんか信用出来るか、などという理不尽な理由で撃墜されることだってあるでしょう。

「どう思う?」

一瞬固まった後、こう答える私でした。

“Exciting but scary.”
「ワクワクするけどビビるね。」

もともと、「こんなんありますけど、ど~でっか?」くらいの軽いノリで彼女に紹介した自作ツールです。こういう展開になるとは夢にも思っていませんでした。緊張感のインクが、脳からじわじわと全身の毛細血管に広がって行くのを感じます。気が付くと、背筋がぴんと伸びていました。

「これを何万人もの社員が使うことで生産性が一気に向上する場面を想像したら、興奮せずにいられないよ。でも出来ることなら、あくまでひとつの解決策としてこのツールを提案する立場を貫きたいんだ。既に他の方法を使ってうまく行っている人に、僕のツールを押し付ける必要も無いでしょ。」

一旦上層部の手に渡ったら我々のコントロールが及ばなくなる可能性を示唆しながらも、私の基本スタンスに賛同するパット。そして彼女が、こんなことを言いました。

“If someone has already built a better mouse trap, that’s fine.”
「もしも誰かがより優れたネズミ捕りを作ってたのなら、それで結構じゃない。」

ん?ネズミ捕り?私のワークブックをネズミ捕りになぞらえているのか?さっきは「ブレットプルーフ」などというカッコイイ単語まで持ち出したくせに…。

電話を切った後、若い部下のアンドリューに、Build a better mouse trapというフレーズの意味知ってる?と尋ねてみました。

Reinventing the wheel(車輪の最発明)と同じじゃないっすか?」

Reinventing the wheelとは、既に完成形が出来ている製品を開発する、つまり無駄な作業をする、という意味。

「いや、そうかな。だとすると文脈と合わないな。」

私がたった今パットと交わした会話の内容をかいつまんで話したところ、彼がネットで検索を始め、さっと顔を赤らめました。

「あ、全然違いましたね。」

これは、Ralph Waldo Emersonという人の言葉が誤解含みの変容を遂げて広がった表現だそうで、全文はこれ。

“Build a better mouse trap, and the world will beat a path to your door.”
「より優れたネズミ捕りを発明すれば、人々がどっと押し寄せるだろう。」

ネズミ捕りというのはアメリカで最も頻繁に改良が加えられて来た製品だそうで、それだけ利用者数が多いということでもある。だから従来品より性能の良い装置を発明すれば、巨大マーケットが反応して大成功に繋がる、という話。つまりパットは、「このワークブックよりも強力なツールを既に誰かが作っていたとしたら、そっちを使えばいいじゃないか」という私のスタンスを、イディオムを使って表現してくれたのですね。

「シンスケのワークブックが、いずれ全社標準になるかもしれませんね。そしたら一躍有名人ですよ。」

と興奮の笑みを浮かべるアンドリュー。

プロジェクトの成功を陰で支え、PM達が笑顔になる。その喜びを糧にこれまで粛々と任務を遂行して来た私。ワークブックを全社にシェアすれば、より多くのPM達を幸せに出来るでしょう。そんな欲求に突き動かされてがむしゃらに進んだ結果、上層部の誰かの逆鱗に触れてバチンと潰される、そんな哀れなネズミになり果てる可能性は充分あります。でも、ここは行くしかないでしょう。

勝負です。

2017年4月2日日曜日

No sugarcoating 歯に衣着せぬ

先日参加したハッピーアワー(仕事終わりに軽く一杯、というタイプの飲み会)で、同僚セシリアが不意に問いかけました。

「シンスケはどうしてそんなに仕事が好きなの?」

誰よりも早く出勤し一番最後にオフィスを出るという、傍目には過酷な労働を続ける私。それなのにいつも楽しそうにしていることが不思議だ、と言うのです。

「何か趣味はあるの?」

ぐっと詰まる私。自分も働き過ぎる傾向があるんだけど、と前置きをしてからセシリアが続けます。

「子供の頃、うちの叔父にこんなことを言われたの。人生は馬車の車輪と同じで、スポークが多いほど衝撃に強く、長く安定して走れる。スポークが少ない人生は脆いってね。」

つまり多趣味な方が円満だし、人生の途上で出会う不運な出来事に対して耐性があるという話。なるほど、それは良いアナロジーだね、と感心する私。しかし、何かしっくり来ない思いも抱いていました。

今やバラエティータレントと化した元全日本サッカーチーム・キャプテンの前園真聖が、「キング・カズ」こと当時48歳のJリーガー三浦知良にインタビューした時、白髪交じりの彼が、

「サッカー選手のままで死ねたら最高だ。」

と爽やかな笑顔で言い放つのを見て、ひとつのことにこれほどのめり込めるのも幸せな人生だなあ、と感動したのです。世界最年長のプロサッカー選手と自分を重ね合わせるのはおこがましいけど、私もよぼよぼになるまで今の仕事が出来たら最高だなって思うのです。

さて、今週木曜日は同僚マリアを誘ってランチに出かけました。リトル・イタリー(と呼ばれるお洒落なストリート)へ行こうよ、とマリアが提案します。突き抜けるような青空の下、オープンテラス風、スポーツバー・タイプ、など各種レストランが軒を連ねるサイドウォークを二人サングラスをかけてぶらぶら行くうち、マリアが

「あ、この店来たこと無いな。見てみない?」

と立ち止まり、つかつかとカウンターへ進みます。笑顔で迎えるバーテンダーに、メニュー見せて、とストレートに要求する彼女。暫くしげしげと品書きを眺めてから、

「次行こう。」

とあっけなく却下。後ろ姿を追いかけ、

「ああいうこと、よく出来るね。」

と笑う私に、え?なにが?と振り向く彼女。

「一旦お店に入っておいて何も注文せずに立ち去るのって、僕にはとても難しい芸当なんだ。店員とアイコンタクト取った時点で、一巻の終わり。」

あらそうなの?男の人って大抵そうじゃない?あたしはメニューが気に入らなければ、たとえグラスワインでもてなされたってハイさよならよ、と笑います。

結局数軒を素通りした後、Sorrentoというイタリア料理屋に落ち着きました。中庭の席で向かい合わせに座ります。二人で食事するのは3、4年ぶり。同じビルで働いているのに、階が違うせいでほとんど顔を合わせることが無いのです。

「どう?仕事楽しんでる?」

挨拶代りに軽く切り出したところ、大きく首を振りながら、

「ぜ~んぜん!楽しくなんかないわよ。」

と答えるマリア。13年前に私が元ボスのエドの元を去った時、その後任として雇われた彼女ですから、職務内容は大体把握しています。ハイリスク・プロジェクトをリストアップし、レビューのために毎月電話会議をセットして関係者を招く。会議の進行、議事録づくり、To Doリスト作成とフォローアップ。これを淡々と繰り返すのですね。世界的に注目を集める数々の巨大プロジェクトの内情が聞ける立場なので、さぞかしワクワクするだろうと思いきや、マリアには面白くないみたい。

「何回か、社内異動の可能性を探ってみたのよ。」

ごく最近も、サンディエゴ市内で長期展開している大規模建設プロジェクトの話を聞いて興味を持った彼女。建設部門の重鎮ストゥーをランチに誘って、口利きを頼んだのだそうです。すると数日後、全く面識の無い社員から、「ストゥーから話を聞いたよ。今日の5時までに最新の履歴書を送ってくれ。」とメールが届きました。大慌てで仕上げ、送信してからよくよく聞いてみると、かなり郊外での建設プロジェクト獲得に向けたプロポーザル・チームの候補に入っていた、というのです。当然引っ越しを伴う話で、サンディエゴを離れる選択肢が頭に無いマリアには、見当違いなお誘いでした。

「結局それっきり何の連絡も無かったわ。そもそも誰がどう見たって、あたしの経歴がフィットする職種じゃなかったの。冷静に考えたら、建設部門のプロジェクトに参加すれば数年ごとに各地を転々とする暮らしが普通でしょ。考えが甘かったわ。」

そしてこんな風にまとめるマリアでした。

“I put my toes in the water and quickly burned them.”
「ちょっと足を入れてみたら熱湯で、たちまちやけどよ。」

食事を終えてオフィスへ戻る途上、あ、このお店見てみない?と彼女が私を引っ張って行ったのが、メレンゲ専門店。何十色ものパステルカラーに彩られたスイーツが、所狭しと店内を飾っています。

「メレンゲって何だっけ?」

と私。

「砂糖のかたまりよ。」

と答え、どうしようかな、デザートにひとつ買って行こうかな、と悩むマリア。私が要らないと言うのを聞いて決心がついたようで、やっぱりやめた、とあっさり店を出る彼女。

「あのさ、砂糖と言えば、That Sugar Filmっていうドキュメンタリー映画を先週末に観たんだ。なかなかの衝撃だったよ。」

と私。一般の加工食品には非常識なまでに大量の砂糖が含まれていて、現代人の肉体を日々蝕んでいる。これを、オーストラリア人の男性が二か月かけて実証するという作品。自然の野菜や果物を避け、加工食品だけで毎日を過ごす彼ですが、一日2600カロリーに制限しているにもかかわらず、日に日に体重は増え、腹はぶよぶよ、血液検査の結果はみるみる悪化していく。怖かったのが、実験を終えて普通の食事に戻した後も、暫くは頭痛や鬱に苦しめられたという場面。まるで薬物中毒です。

「その映画の話、聞いたことあるわ。砂糖が健康に悪いのは充分分かってるんだけど、なかなか止められないのよねえ。」

とマリア。

よくよく考えてみれば、私の仕事中毒も、これに似ているかもしれません。趣味やエクササイズという心身の栄養をおろそかにし、仕事の面白さにのめり込んでいく。突然職を失ったら、一体どうなってしまうのか…。

「なんか、愚痴聞かせちゃったみたいでごめんね。」

とマリア。はっと我に返る私。

「そんなことないよ。でもさ、結局今の仕事、マリアに向いてるってことじゃない?」

と咄嗟に応える私。

「そうかな?」

「だってさ、巨大プロジェクトを管理する百戦錬磨のPM達に、ああしろこうしろ、宿題はやったか、って言わなきゃいけない役割でしょ。かつての僕はビビって苦しんでたけど、マリアは平気でバンバン言えてるじゃん。」

「それはそうね。」

「エドが君を雇ったのは、きっとそういう性格を見抜いたからだと思うんだ。」

「あ、そういえば最初の面接で、君なら強気の猛者どもと互角に渡り合えそうだって言われたわ。」

「でしょ。なんていうか、君のその極端にストレートなところ、つまり…。」

そこで私の口をついて出たのが、このフレーズ。

“No sugarcoating.”
「ノー・シュガーコーティング(糖衣で包まないところ)。」

これにはマリアも大笑い。

「そうね。確かにノー・シュガーコーティングよね、あたしって。」

「シュガーコートする」というのは、柔らかく遠回しな表現を使うことで真意の角を取る、要するに「オブラートに包む」テクニックですね。「ノー・シュガーコーティング」と打ち消すことで、「歯に衣着せぬ」という意味になります。

「実際、あのポジションがきっちり務まってるのって、本当に凄いことだと思うんだ。マリアみたいな人、少なくとも僕の周りには全然いないもん。」

「そんな風に言ってくれて有難う。」

元気を取り戻した様子のマリアと別れ、午後の仕事に取り掛かる私でした。

その晩、夕食の席で、セシリアの叔父さん出典の「人生は車輪のようなもの」というエピソードを披露したところ、15歳の息子が、

「そうだよ、パパも何か趣味始めた方がいいよ!」

と私を責めました。ほんとだね。何かやらなきゃね、と私が素直に反応したところ、妻が半笑いでボソリと言いました。

「突然クビになったら、濡れ落ち葉よね。」


ノー・シュガーコーティングな人を、身近にもう一人発見しました。

2017年3月25日土曜日

Clairvoyant クレアヴォイヤント

木曜の夜遅く、15歳の息子が、彼の通う高校主催のカレッジ・ロードトリップから帰って来ました。足掛け四日で北カリフォルニアの大学を八校見学、という強行軍。約百名の同級生たちが大型バス二台に分乗しての、修学旅行めいた長距離ドライブ。仲良しグループごとに席取りをしたため、道中楽しく過ごせた模様。彼の土産話によると、ある日後部座席に固まっていたメキシコ系の級友グループが、大音量で音楽をかけていたのだそうです。たまりかねた息子の親友二コラが立ち上がって注意したことから、小競り合いのようなトラブルに発展。この時、前席の白人生徒たちが誰からともなく、こんな野次を飛ばし始めました。

“Build the wall!”
「壁を建設しろ!」

“Go back to your country!”
「国へ帰れ!」

高校生の他愛もないジョークじゃないか、と一笑に付すには深刻さの度合いが過ぎる。明らかに、新大統領のスローガンに乗っかっているのですね。最近は息子の発言にも、過激な排他思想を窺わせる表現が垣間見えて来たので、先日はあらたまって忠告しました。

「社会で起きている問題というのは大抵、無数の要素が複雑に絡み合った末に表面化しているものなんだよ。それを善悪とか優劣とか原因と結果、みたいにシンプルな事象に二分して論じるのは、あまりにも軽率だし危険なんじゃないかな。経済や治安が悪化しているのは移民のせいだ、だから移民を締め出せ。テロリストの多くはイスラム教徒、だからイスラム教徒を追い出せ。この手の極度に単純化された主張を、もう一度冷静に見つめて直してごらんよ。」

「分かった、もう分かったよ。僕がimmature(未熟)だってことを 公表してるようなもんだって言いたいんでしょ。」

「いや、未熟かどうかより、むしろ知的忍耐力の問題だと思うんだ。計算に入れなければならない要素があまりにも膨大だと、人は考え続けることに耐えられなくなって投げ出しちゃうんだよ。そして自分の怠慢さを誤魔化すために、シンプルな結論を乱暴に捻り出して話を終わらせる。その方がはるかに楽だからね。でも、それでいいのかな。もしもそうしたい誘惑にかられた時は、一旦立ち止まって自分に言い聞かせるべきだと思うんだ。もうちょっとだけ我慢してみよう、考えを一歩進めてみようってね。」

「うん、わかった。本当にそうだね。」

まだまだ素直な息子です。

そんな彼がまだサンタバーバラ界隈にいた水曜日の夕方、ふと思い立って本社副社長のパットにテキストを送りました。

「時間がある時に話せない?明日の朝なんかどう?」

彼女とはこれまで、月一回のペースで連絡を取り合って来ていて、そのサイクルがやって来ると自然に脳のリマインダーが作動するのです。間もなく、今からでどう?と返信が届きました。

「今週はオースティンに来てるの。今、ホテルの部屋。」

ナッツ系のスナックをポリポリかじりながら話し始めるパット。お互いの近況報告を手短に済ませた後、前日ようやく私が完成させた新PMツール対応のエクセル・ワークブックの説明をしました。

「実は今日の午後、ジョーゼフと話してたところなの。今後全米展開しようとしてるトレーニング・プログラム作りに、シンスケの協力を要請しようって。彼ならきっと何か新しいアイディアを持ち込んでくれるからってね。」

そして、彼女がこう続けたのです。

“You must be clairvoyant!”
「あなた、クレアヴォイヤントでしょ!」

ん?クレアヴォイヤント?何だっけそれ?

どことなく超能力を連想させる単語だけど、意味が分からない。後で調べようと、急いでカタカナでノートにメモする私。この後、先週コロラドから「プロジェクト・コントロール・ディレクター」という肩書のステファンがやって来てうちのチームメンバーと個別面談をした話題を出しました。彼の今回の出張は、南カリフォルニアに散在するプロジェクト・コントロールの専門家のスキル・セットを調べ、必要ならトレーニングを実施する、というのが目的。

「ほとんど前置き無く個別に連絡を取って来たもんだから、うちのメンバーたちはナーバスになっちゃってね。」

ある日知らない社員から、あなたの担当業務や技能レベルについて話がしたいといきなりメールが届いたら、誰だって人員整理の動きを疑ってビビります。シャノンに至っては、トレーニングの講師として三週間缶詰状態で奮闘していたさ中、「昼休みを利用して面接をしたい」と講習会場の隣のキッチンで待ち伏せされた、と憤慨していました。

「組織の中で埋もれてしまっている人材をきちんと認識して有効活用し、更にはキャリア発展の後押しをしよう、という最初の趣旨が、いつの間にか消えちゃったみたいだね。」

と私。

「スタート時点で各地域のエグゼクティブたちには、念入りに説明してあるのよ。コンタクトの取り方、面談申し込みのメールの文例まで添えてね。不注意なアプローチで無駄に相手を身構えさせることのないようにって。そういうデリケートな情報がいつの間にか、締め切り日までに何人と面談を済ませるか、という馬鹿みたいにシンプルなゴールにすり替わっちゃったのね。」

図体の大きな組織ではややもすると、情報伝達の過程で微妙なニュアンスがどんどん削ぎ落され、まるで伝言ゲームの果てのように、分かり易く耳触りの良い行動指針だけが残るものです。

「そんな面倒くさいことに時間をかけるより、いっそのことみんなクビにして、実力が分かっている人を外から雇えばいいじゃないかって言い出す輩も結構いるのよ。」

ため息連発のパット。

「社内で既に機能している人材を育成強化することをこの活動の柱にしているのは、何故だと思う?なにも、私が良い人だからってわけじゃないのよ。」

“Because it’s effective!”
「それが有効な手段だからなのよ!」

長い目で見れば、それが最適解なのは疑いようが無い。しかし四半期毎、あるいは月ごとのゴール設定に慣れた意思決定者たちにとって、この主張はあまり魅力的じゃないのですね。月末までに十人と面談する目標を立てた、達成した、褒められた、ボーナス出た、はいお次は?そういうリズムで動いていると、原理原則、大義や理想などというものはふっ飛んじゃうのでしょう。後でこの話を同僚ディックとした時、彼がこう言いました。

「それはうちの会社だけじゃなく、アメリカ全体で起きてることだと思うぜ。」

木曜の昼休み、ランチルームで隣合わせたエリックに、

「ねえ、クレアヴォイヤントってどういう意味?」

と尋ねてみました。暫く考え込んでいた彼ですが、ようやく答えを絞り出します。

「遠くを見通すことが出来るっていう意味だと思うよ。」

「予知能力があるってこと?」

「う~ん、どうかな。時間の概念は関係ないと思うけど。」

すると、その隣に座ってランチを頬張っていた古参社員のビルが会話に飛び入りします。

「ヴォイヤントってのはフランス語由来っぽいな。視界っていう意味だ。クレアがクリアと同じ、つまり、くっきりとした視界ってことだな。」

「なるほど。」

あとでネットを検索したところ、「千里眼」とか「透視能力者」という訳が一般的でした。パットのセリフを意訳すると、こういうことですね。

“You must be clairvoyant!”
「遠くから見えてたんでしょ!」

弁当箱を片付けながら立ち上がったビルが、やや皮肉めいた表情でこう言いました。

「シンスケ、そんなビッグ・ワード(難解な単語)を使ってちゃ駄目だぞ。これからこの国では、スモール・ワード(簡単な単語)だけ使うことに決まったんだから。Make America Great Again!(アメリカをもう一度グレートにしよう!)とかってな。」

そして廊下の向こうへ消えながら、こう小さく叫びました。

“Small word, small brain!”
「簡単な単語、単純な脳みそ!」

この国の近未来が、くっきり透けて見えた気がしました。


2017年3月18日土曜日

This is not a country club. カントリークラブじゃないんだぞ。

木曜日の夕方、オフィス近くにあるホテルのテラスバーで、ちょっとしたパーティーがありました。聖パトリック・デイの前夜祭という名目ですが、要は久しぶりに職場の皆で集まろうよ、というイベント。私のチームはここ数週間、目も回るような忙しさで、正直こういうイベントに参加する余裕はゼロ。でも、今回はちょっと事情が違ったのです。南カリフォルニア地区の環境部門長であるロブがたまたまサンディエゴを訪問していたため、彼も参加するというのです。思案した挙句、新人のアンドリューに参加を促しました。

「滅多に無い機会だから、大ボスに挨拶しておいた方がいいと思う。」

数百人の社員を束ねるロブは、中小企業なら社長に当たる立場です。ひとりひとりの社員と直接会話するチャンスなんかそうそうありません。私ですら、プロジェクトのレビューを電話会議で行う際、彼の質問に答えたことが数回あるだけ。

「パーティーとかそういうの苦手なんすよね。」

と尻ごみするアンドリューに、

「君が根っからのパーティー野郎じゃないことは百も承知だけど、ここは思い切って飛び込んでみなよ。」

「でも、明日から旅行なんです。早く帰らないと…。」

「顔見せるだけでもいいから、参加しといた方がいい。」

「う~ん、でもなあ。」

「大丈夫、僕も一緒に行くから。」

何とか仕事を締め括り、シャノンと三人、少し遅れて会場に乗り込みます。

オープンテラスには椅子席が無く、胸の高さの小さな丸テーブルを囲んでグラスを手に談笑するグループが四つほど散らばっていました。そのひとつに混じって飲み始めた我々ですが、間もなくロブを遠くに発見。よし行くぞ、とアンドリューに目配せします。

「一月からうちのチームに入った新人のアンドリューを紹介します。」

と割り込む私に、若者の顔をじっと見て、

「ラストネームは何?」

と尋ねるロブ。アンドリューの返答に、

「やっと顔と名前が一致したよ。ようこそ。」

と笑顔になるロブ。初めて近くでじっくり眺めたのですが、なかなかのベビーフェイスです。上機嫌の時の柳家小さん(五代目)にやや近いイメージ。

「はい、先週から毎日のように承認申請をじゃんじゃん送りつけていたのは私です。」

と、微妙に赤面しつつおどけてみせる若者。

ひとしきりアンドリューの職務内容について話した後、うちの部門の経営状況はどうですか?尋ねてみました。右肩上がりの堅調ぶりを維持しているよ、とロブ。成功の秘訣は?とすかさず突っ込む私に、満面の笑みで答えます。

「聞けばなあんだ、というくらい、シンプルな話だよ。目標を定めてチームリーダー達としっかり共有し、戦略を練る。そして決められた任務を着実に遂行していく。本当にそれだけなんだ。」

「随分簡単な話に聞こえますけど、その過程で人減らしや配置転換が発生しますよね。これはどうするんです?」

「戦略を固めたら、それを遂行するための役割が定まるね。ここに適材を当てはめる。もしかしたら、その人がこれまでやったことのない任務になるかもしれない。こっちは能力を見込んであてがったとしても、当人は嫌かもしれないし、格下げされたと恨んで去っていくこともある。でもそれは仕方ないことだ。過去30年ある分野に秀でていたからといって、次の10年も同じ道で成功出来るとは限らないだろ。組織の発展のためには全く違う職務に就いてもらわないといけないことだってある。誰だって絶え間ない変化に対応するのは辛い。社員からの抵抗は避けられないよ。でもそんな時、俺は言うんだ。」

一旦言葉を切ってから、静かにこんなセリフを放つロブ。

“This is not a country club.”
「ここはカントリークラブじゃないんだぞ。」

カントリークラブというのは、ゴルフコースやテニスコート、プールなどを備えた会員制クラブのことを指し、メンバーになると、スポーツや会食を通じて友達を作ったり家族付き合いを拡げたり、結婚式などのイベント会場として施設を利用出来ます。思い切った意訳をすれば、

“This is not a country club.”
「ここは仲良しクラブじゃないんだぞ。」

てなところでしょうか。

「俺たちはここで給料もらって働いてるんだ。ゆったり座ってサービスを受ける立場じゃないんだぞってね。」

「なるほどぉ。いいですね。そのフレーズ気に入りました。よそで使わせてもらっていいっすか?」

と言うと、

「無料で進呈するよ。」

とご満悦のロブ。

それから約30分、我々は彼を独占し、じっくり会話を楽しんだのでした。

パーティーが終わって会場を出た時、アンドリューがあらたまって私にお礼を言いました。あんな風に強くプッシュされなかったら、折角の機会を逸していた、と。

「実は僕自身も、ロブと長い話をするのは初めてだったんだ。一緒に行けて良かったよ。彼の経営哲学が聞けたのも収穫だったし。」

と照れる私。すると、彼が急に真顔になりました。

“I don’t totally agree with him.”
「全面的には賛成できませんがね。」

社員がまるで機械の一部のように任務の遂行に全うする組織というのは良くない、と言うのです。前に勤めていた会社がそんなところで、毎朝出勤するのが辛かったのだと。会社というのは社員が仲間意識を持ち、ある程度自由に、そしてクリエイティブに動かなければならないと思う、と。

おお、この若者、意外に気骨があるぞ、と感心する私。振り返ってみると私は、大ボスの話を無批判に傾聴し続けてました。しかも下手するとおべっか使いと取られるくらい、調子よく合いの手を入れてたし。まるでカントリークラブで上司をゴルフ接待する奴みたいに。

う~む、なんかちょっとカッコ悪い…。


2017年3月12日日曜日

この世で一番悲しいフレーズ

15歳の息子は現地校で高校二年ですが(四年制なので)、日本では中学三年生。昨日は、彼の日本語補習校の卒業式でした。伝統的な堅苦しい儀式の後、記念撮影、卒業アルバムのサイン交換、謝恩会、そして二次会のカラオケパーティー、と盛り沢山の一日。大半のクラスメートは幼稚園や小学校低学年からずっと一緒なので、みな背丈が今の半分だった頃からの仲。サイズはでかくなっても、はしゃぎ方は昔とちっとも変わりません。こういう「損得関係の無い」絆で結ばれた仲間というのは、一生の宝だと思います。そんな彼等も、あと数年でそれぞれ社会へ巣立ち、いくつもの夢や挫折を経験して行くのだなあと思うと、何だかドえらく年食った気分になる私でした。

さて、ここのところ成長著しい息子は、水球にのめり込んでいるせいで肩幅もぐんと広がり、自信もついた様子。英語、日本語とも語彙が増え、難しい話題でも会話が続くようになりました。しかし自分の経験上、そろそろ親の助言を素直に受け入れられなくなる年齢なので、あまりくどくどと人生訓を語ったりしないよう心がけています。毎朝我が家から車で15分の距離にある高校へ彼を送る間も、会話は途切れ途切れ。

ある朝私は、いつものように眠たげな彼を助手席に乗せて高速を走っていた時、ふと最近読んだ本の話をしました。

「その中にね、この世で一番悲しいフレーズっていうのがあったんだ。」

と話し始めてから、一瞬ためらいました。彼の年頃にはまだちょっと早かったかな?と。

「え?何?教えてよ。」

意外な食いつきを見せる息子に、答えを発表します。

「過ぎ去ってしまった可能性。」

私は出張中のホテルでこのフレーズを読んだ時、心臓の辺りをグーで思い切り殴られたような衝撃を受けました。人一倍楽しい人生を送って来たという自負は有りこそすれ、やれたはずのことを全てやり遂げて来たわけではない。小さな後悔の数々を閉じ込めて押入れの隅に押しやっていた小箱の蓋を、うっかり開けてしまったような気分にさせられたのです。

「うわぁ、それはほんとに悲しいねえ。」

ちらりと横を見ると、息子が心の底から悲しそうな顔をしています。え?15歳でこれ、理解出来るの?予想外の彼の反応に何故か慌てた私は、我々人間がいかに怠惰で安きに流れやすいか、二度と巡って来ないチャンスを逃し続けて老いることがいかに虚しいか、を滔々と語ってしまいました。しまった、またやっちまった、と悔やんで隣を見ると、息子はしっかり頷きながら同意を示しています。ほっと胸をなでおろす私。

後日ネットで調べてみたところ、原典はJohn Greenleaf Whittierという詩人の言葉でした。英語では、

For all sad words of tongue and pen, the saddest are these, 'It might have been'.
これまでに語られて来た悲しい言葉の中で最も悲しいのは、It might have beenである。

It might have beenの翻訳はなかなかに難しく(「もしかしたらこうなってたかも」って感じ?)、そのままだとイマイチピンと来ません。「過ぎ去ってしまった可能性」という堅い訳にしてもらったお蔭で、ずしんと心に響いたのですね…。

そんなわけで急に興味をそそられた私は、何か他に悲しい言葉は無いかな、とネットを検索してみました。そして見つけた最高に悲しいフレーズが、一時期ドラッグ中毒に苦しみ昨年末に亡くなった女優キャリー・フィッシャーが、晩年に放ったこの一言。

What party?”
「何のパーティー?」

自分が招かれなかったパーティーの話を偶然聞かされた時のリアクションですね。これはキツい…。

合掌。